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犠牲と我慢の違いって?

今日から初出勤の旦那様
クリスマスプレゼントにと
作ったスーツがもはや
入らないのでは?が
心配でしたが、なんとか無事に
着装!(って感じ)ほっとしました!

こんにちは、林ゆう子です

今日のENMAカードは「犠牲」

photo:01


私がこんなにやっているのに…
私はこれもあれも我慢しているのに…

と思うことがありますね…

これは「我慢」なんですよね…

「犠牲」の意味を見てみると…


1 神、精霊などをまつるときに供える生き物。いけにえ。
2 ある目的のために損失となることをいとわず、大切なものをささげること。また、そのもの。「道義のために地位も財産も―にする」「―を払う」
3 災難などで、死んだり負傷したりすること。「戦争の―となる」

(goo辞書より)

という意味があるんですが…

どちらかというと
自分のエゴからくる
「××したほうがいいからする(結局は自分のために)
「私が自分のしたいことをしないで
アナタのために××をやるわ(誰も頼んでないけど)

というのではなくて

何かの目的のために
自分の大切なものを捧げる行為

ということですよね…

なんというか、
その目的というのが自分のエゴや
我を通すためというよりは
もう少し大きなもの
対象が外になるように思います

一方我慢は…

我慢(がまん)とは、仏教の煩悩の一つ。 強い自己意識から起こす慢心のこと。 四慢(増上・卑下・我・邪)の1つ、また七慢(慢・過・慢過・我・増上・卑劣・邪)の1つ。 仏教では人間を固定的な実体として捉え、自己に執着(しゅうじゃく)することを我執(がしゅう)といい、その我執から、自分を高く見て他人を軽視する心をいった。

1 耐え忍ぶこと。こらえること。辛抱。「彼の仕打ちには―がならない」「ここが―のしどころだ」「痛みを―する」
2 我意を張ること。また、そのさま。強情。
「―な彼は…外(うわべ)では強いて勝手にしろという風を装った」〈漱石・道草〉
3 仏語。我に執着し、我をよりどころとする心から、自分を偉いと思っておごり、他を侮ること。高慢。
「汝仏性を見んとおもはば、先づすべからく―を除くべし」〈正法眼蔵・仏性〉

(goo辞書)

ということなんですよね…

似ているようで大分ニュアンスが
違うようです、「犠牲」と「我慢」

何かを成すときに
自分を押さえてやらないとならない、
そんなこともあります…

私はこの「犠牲」のカードが
出た時には

「何かやらないとならないことを
後回しにしてません?」

とか

「それって自分よがりではないですか?」

とかって自分に質問しています…

まあ、これもこうしなさい、って
ことではなくて
こういう見方もありますね、って感じですからね…

「犠牲」を見た時に
出てくる言葉が

どちらかというと
「我慢」を現していることだったら

もしかしたら、
そこにあることは
「本当にその我慢必要?」ってことだったり

「なかったらどうなる?」

「あったらどうなる?」

そんなことから
それが本当に必要なことだったか、
気づくことなのかもしれませんね…

アナタは「犠牲」と聞いて
今、何を思い浮かべますか?

「犠牲」となっていると感じるのは
どんなところでしょうか?

そして、それは

本当に必要ですか?

そんなことを考えてみてください…

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—–

笑いの中に解決策が見える

エゴの中の大事な部分

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