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父の恋バナ

父が最後の時を過ごす、小高い丘の上の病院に随分と通い、父と最後に語らう時間ができたこと、私にとっては本当に貴重な時間となったのでした。しかし、この話は母が亡くなって一年が過ぎ、父が亡くなって5年経ったからお話できる内容で…。

 

病室にいた人

その人の存在は少し前から下の妹から聞いていたのです。

いわゆる、父の彼女、ですね。

父が柏のがんセンターに入院していた時、下の妹の住まいが近いものですから、何度かお見舞いに行った時に遭遇して、紹介された…と言っておりました。

 

どんな人なのか、何目当てなのか…とちょっとグレーな気持ちでその話を聞いていたものです。が、その日初めてお会いしたそのマダムは本当に正真正銘のマダム、でした。当時、70オーバーでいらっしゃったのですが、すっとした佇まいが上品。気品に溢れている、というのはこんな感じなのね、と只者ではない感覚を肌で感じました。

 

私も実は一眼でこのマダムのファンになってしまい、こういう年の重ね方をしたいと心から思ったのでした。決して若造などはせず、年相応の装いと言動がこの方の人生の蓄積をオーラとして纏っているような感覚。

 

その人の前にいる父が青年のように嬉しそうで、今まで見たこともないような穏やかな笑顔でいるのです。「ああ、お父さん、最後に本当に大事な人に出逢ったのね」と嬉しさを感じる一方で母のことを思うとちょっと複雑な気持ちでした。


(実家に最後に帰ってきた父と)

二人のなれそめ

馴れ初めを聞くと、3年くらい前に父の友人のお葬式にそのマダムは奥様のお友達として参列されていて、初めてあったというのです。父は一目惚れしたそうで、お寺の階段を上がったところに何人かで佇んでいたマダムに駆け寄ってきて、挨拶をした父だったそうです。

 

それからお付き合いが始まったそうですが、父は後からこっそり私に「(母とは)別居していることになっているからよろしく」と耳打ちしたものです。まったく!男っていうやつは!

でも聡明なマダムのことですから、きっと気づかれていらっしゃっただろうと推測するのです。最後まで気づかれないように努力はしましたけれどね。

 

当時、72歳だったマダム。「ゆう子さん、人生いくつになっても何があるかわかりません。本当に大切な人と出会うこともありますよ」と仰る言葉に重みがありました。

 

ある時から父の装いがお洒落になったな、と思ったものですがこのマダムのおかげだったのねと納得しました。

この病院の医院長先生がマダムの古くからのお知り合いで特別待遇をしてもらっているのだなというのもすぐわかりました。ホテルのお部屋のような病室で父とマダムと私。午後のお茶を頂きながら、父とマダムの恋バナを聞く娘。なんとも不思議な時間でした。

 

ラブラブ話

印象に残っているのは二人でベニスに行った時の話。心の奥では「へー、そうだったんだ。あの時ね…」と若干もやもやもあるのですが…。満ち潮で街が水に沈む時期があるのですね。あれよあれよと水が出てきて、マダムが水に驚いていると父がマダムをお姫様抱っこして濡れないところまで運んだらしいのです。

その様子をマダムがうっとりと「お父様がわたくしを抱き抱えて運んでくださったのですよ」と語る様がそれこそ、若いお嬢様のように頬を赤らめて嬉しそうに語るのですよ。

それを横でこれまた嬉しそうに話を聞く父。

その状況を想像すると微笑ましいというか、映画のワンシーンのようだなと思ったものでした。そんな二人をみておりましたら、世間的には「不倫」という関係性なのかもしれませんが、そんな言葉では表現できないものがそこにはあり、心から「お父さん、素敵な方と出会えて本当に良かったですね」と思わずにはいれませんでした。
ああ、マダムの方は随分前にご主人が病死されていてお一人でいらしたのですね。もちろんお子さんはいらっしゃるけれども。

 

マダムの父に対する態度。媚びることもなく、毅然としていて、でも立てるところは立てている。とても勉強になったのでした。
ある時、父が出かけるとかでスーツに着替えた時にマダムが「わーー!格好良いわー!」と本気でニコニコして褒めるのです。それを聞いた父が私に視線を送ってきて「どうだ?いいオンナだろう?」と言っているのが判りました。

 

私たちの母はお世辞にも可愛げがある、とは言いがたく、こうした人を褒めるという言葉を持って生まれてこなかったのでは??と思うほどに家では父の批判の言葉しか聞いたことがありませんでした。文句か批判。いや、私が男だったら絶対、こんな家にいたくないわ…と思っておりましたので、父がこのマダムにぞっこんだったのは当たり前ですよね、とすら思っておりました。

 

父は最後にここでマダムとの時間を取りたかった、マダムに自分と過ごす時間を作りたかったのです。だから私と下の妹で母をここにこさせないような気配りをしておりました。真ん中の妹は母寄りでしたし、真面目なのでこういうシチュエーションを理解しないだろうなと二人とも感じておりましたから。

 

父はもともとワンマンで我が儘で思ったことが通らないと、思い切り不機嫌になるタイプの人間で切れやすく、理不尽なことを言われることもあったものでした。

ただ褒めるのではなく

マダムにお聞きした父とのエピソードの中の一つ。出逢って初期の頃、父がまた横柄な物言いをしたらしいのです。その時にマダムは毅然として「私はあなたにそんな扱いをされる道理はない」と言い放ち、父が謝り、それから度々そういうことがあったときにもマダムに諭されていたようでした。

 

ただ、褒めて、いい気分にするだけではなくて、ちゃんとダメなものはダメ、違うことは違うと言える本当に素敵な方だったのですよ。そうしたことを受けて、父の遺品の手帳の中に記されていた「人生のテーマは品格の完成だ」と書くに至ったのだと理解しました。

 

イタリアが好きで食べることが好きだった父。「アモーレ、カンターレ、マンジャーレ」とイタリア人の気質のことをいいますが、本当にそう生きたいと願っていた父でしたから。大好物はペペロンチーノ。
食事会ではどこに行きたいと聞くと必ず「イタリアン」という父でした。

 

最後に大恋愛をして、逝けたのは本望ですよね。
二人をみていて、私もそういう人に出逢いたいと思ったものです。

そんな父に最後に会ったは2月の26日でしたか。
病室を訪ね、元気そうだったので翌日からの関西出張は行っても大丈夫だな、と考え病室を後にしたのを思い出します。

何にしても3週間弱のこの父とマダムとの恋バナを聞いていた時間。それは私にとっての宝物のひとときであったと思います。

 

そして本当に自分の最後を全て段取りして逝った父。

25日には全ての友人に電話をし、「おー元気か?今検査入院しててね。退院したら飲みに行こう」と話をしたそうです。

そして父が逝ったのは28日。

そんな父のダンドリの様子は…
(続く…)


(大阪から父の元へ向かうときに見た富士山)

父の命日に思うこと

自分の最後を段取る

コメント

  1. ゆう子さん ご無沙汰しております。
    以前MOMOちゃんのライブでゆう子さんがご登壇された際参加し
    Facebookでも繋がらせて頂いているものです。

    お父様の”恋バナ”そして気品高いマダムの様子、とても素敵なお話だな。。と
    拝読いたしました。幾つになっても大恋愛できる相手と出会えることって素敵ですよね。
    ブログ書かれていらっしゃるのは存じ上げなかったのでまた時々立ち寄らせて頂きます^^

      • HayashiYuko
      • 2023年 3月 15日

      ミサトさん
      コメント、ありがとうございます。
      あー、あのグダグダの回を見てくださったのね笑
      実はあの時、このチューニングのエネルギーと出会い、自分がそれまでやっていたことと全く違うことをするんだ、という予感はあったのですが、一体何をするのかわからないで、自分が何者なのか、自分でも混乱している時だったんですよ、今思い返してみれば…。
      これからもよろしくです!

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