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品格を考える

昨日はSUTEMATSUカレッジの東京1期の卒業式があり、本当に毎回感動しておりましたが、全員のそれぞれの成長ぶりに喜びと感動に包まれていた時間でございました。先生方のどのプログラムが抜けてもこうはならなかったでしょう。そして、この卒業のときが完成ではなく、それぞれが自分という土壌を耕し、そこにどんな種を撒き、育てていくのかはそれぞれで決めていくこと。ここからがスタートなのだということをみなさんがわかっていらっしゃった。

そのあとの夜にはSUTEMATSUカレッジのオープン講座ということで酒井先生からの「美について」の3回講座の最終回。今回は「品格について」みなさんでデスカッションをしてまいりました。そこで様々な意見も出てまいりました。
わたくしたちはどんなところで品格を感じるのか…。何でそれを感じ取っているのか…。

わたくしたちはこの品格を空気感というか仕草というか、波動で受け取っているのだろう…というお話がありました。その波動の違いはどこからくるのでしょう?

どこを意識しているのか

これはわたくしがなんとなく、こういうことなのでは…と感じていることです。
わたくしはその人がどこまでを意識し、見ているのか…ということによるのではないか、と考えております。自分だけを見ている方、自分と家族だけを見ている方、自分や家族を含む社会を見ている方ではおのずと考え、とる行動も変わってまいります。

自分が目立つため、良い思いをするため、自己主張をするため、自分の家族のため、子供のため、自分や家族が暮らす地域のため、学校全体のため、社会のため…それぞれに見ているところが違うと選ぶことも変わってまいりますよね。

 

このときの「意識する」ということですが、そのときに大切はことは何のためにそれを意識しているのか、というところではないでしょうか。

よく見られたい、間違えたくない、正しいことをしたい、主張したい、間違いを正したい…なんでしょう、ここに我が強くでているとそうならない現実に苦しくなってくるのではないでしょうか。
例えば、これが正しい、これが美しい、と思っているとき、そうではないものが目に入ると嫌だし、苦しいし、悲しいし、怒りもでてくるかもしれません。

でも、例えば「人のお役に立つ人間になる」という目的がある場合、どうでしょう?

昔の人は「お国のために…」「この地域のために」という言葉や思いで例えば勉学に勤しんだりしていたのではないでしょうか。昔の母親は自分の子供が一番になって、いいお勤めになって、豊かにくらしさえしてくれればいい…というような自分の子供と家族だけを見ていたか、というとそんなことはなかったように思うのです。

だから、昔のお母さんは普通の家庭の方でも品格があったのではないでしょうか。

普通の親でも持っていた視点

先日、亡くなった父のことを書きましたが、その中でやんちゃをしていて父に対して祖母が叱ったときのことを書きました。(こちらの記事
その中で祖母が父に言った言葉は「上等な人間になりたいのだったら人様にご迷惑をかけてはならない」です。一流の人間になりたいのだったら、自分の欲ばかり考えるのではなくて、人様のことを考えなくてはならない、と諭しているのです。

 

そういう視点が普通にあったのだと思います。

 

だから、どこまで意識できるか、ということはそれは何のために…ということと対なのです。ただ、意識を広げただけでは要らない情報が入ってきすぎて苦しくなってしまいますでしょ。何のためにという目的がはっきりしていたら、手前にある気に入らないことにいちいち気にかけている場合ではないので、そうしたことに対してはもっと大らかになってくるのではないでしょうか。

わたくしの印象ですが、昔のお母様たちは細かいことをぐちぐち言わない、大らかな女性が多かったように思うのですが、それは見ている世界が違ったからではないのでしょうか。旦那様に対しても、自分だけを見ていたら、飲んで遅くなったとか、やれメールの返事がないだとか、様々にイライラされるのかもしれませんが、その旦那様自身、ひいてはその旦那様がこの先に関わるであろう社会までを含めて考えたなら、そんな風にとやかくいうことではないのかもしれませんよね。

 

最近は品はあるけれども、品格はない…という方も多いように感じます。品…仕草、行儀、マナー、言葉使い等々と格…人間の程度は両天秤というお話がありましたが、この両方があってこその品格なんだというお話。

品はいいような方々でも、それはどこを見ての言動なのか。なんのためにそれをするのか…それによって品格を感じるのか、感じないのか…がわかれるのでしょう。

 

何か1つのことをやり続けた人にも品格が宿る、というお話もありましたが、何を目的としているのか…だと思うのです。いいものを作ろうとする職人さんが世界を意識しているのか、と言えば、顕在意識の中ではないかもしれません。でも、多分その作業を没頭してやる中で自分のためになどという個なんていう感覚はなく、我を超えて見えない世界の理とつながり、何かの手を借りてそれを成す…ということを無意識に理解されているのだと思います。

 

それはもはや、地域とか社会とかを超えて、あらゆる存在と繋がる世界を無意識に見ているからではないのか…とわたくしは考えているのです。

 

自分の今の言動は何のために、何をするためのものなのか…。どこを見ているものなのか。
そんなこともちょっと意識を向けてみてもいいのかもしれません。

 

上林先生のスピリチュアルセッション

星詠みの力を解き放つ

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