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SUTEMATSUとわたくし2「大山捨松」

ミューズ診断を5月に受けて,変わってきたわたくしです。


これが、2015年の11月ごろです。

これでも十分にわたくしの様子は変わっていたわけですよ。全国から酒井先生のウィズブライト様へミューズ診断や酒井先生の個人コンサルを受けにいらしたのですから…。

ですが、本当に変わってきたのはSUTEMATSUカレッジを受けた一年を通じてでした。


これは2016年の10月ですが、雰囲気変わってますでしょう?

さて、この雰囲気を変えるほどになっていくSUTEMATSUカレッジとの関わりについて、そろそろお話いたしましょう。

酒井先生が先生の右腕、松本先生とご一緒にわたくしのところを訪れたのが2015年の10月頃でした。ある企画を作ったがその名前がなかなか決まらないので、見て欲しいということでした。

 

当初、松本先生のステージを作ろうとしていらした酒井先生は松本先生を中心とするプログラムを展開した企画をベースにお作りになっていらっしゃいました。

 

パワーポイントで作られたその企画書を読み進むうちに、わたくしの中に感じたことがないような違和感がふつふつと湧き上がってくるのです。

 

特にその名前の候補を拝見したときに…。「姫カレッジ」「美人大学」…なんだったか、とにかくチャラい(苦笑)

 

この辺りでわたくしは生まれて初めての体験をすることになるのです。それはわたくしの中の何か違う存在が「これ(まだSUTEMATSUという形になってない何か)はこんなものじゃないー!」とまるで吠えるが如くにぐぉーっと怒りというか憤りというか…

それは何か素晴らしい年代もののワインをその価値も知らずにぞんざいに扱っているのを見ているような、素晴らしい聖者をその見てくれから低く足らっているをみて、何をしているのだー!と怒っているような…何かそんな感覚が湧き上がってきたのです。

 

それがなんなのか…。言葉を探しながらその思いを先生にお伝えしていました。
「…これは…先生がやろうとしている内容に対して、名前が軽すぎます」
「そして、これは松本先生ではなくて酒井先生がおやりにならないといけないことです」

「先生がおやりになりたいものは、ここに表現されているもの以上のものではないですか?外部講師の先生の割合が多すぎですから、もっと酒井先生自身の時間が必要です」

 

もちろん、内容的には「遊びと文化」を考えた日本文化を伝えていくようなものだったのですが…。何かが違う、何かベクトルが違う、という思いがわたくしの中にはありました。

 

その時に本当にふっと、まるで言わされたかのように「先生、大山捨松という女性をご存知ですか?」と言ったことを覚えています。

わたくし、実は幕末オタクでして…そういう人がいるということは知っておりました。たまたま、その1週間くらい前に彼女について書いたものを読んでいたのです。大山捨松という方は会津藩の家老の娘で日本で初めて女子で留学をした一人でもあります。この捨松の生き方がこのプロジェクトの参考になると感じたのです。

 

先生にお調べ頂くことをお勧めした数日後、ネットで色々と調べられて、調べれば調べるほどにこの捨松がされたこと、こうした生き方がご自分が伝えていきたいことだった、ということを思い出させてもらったということを言われました。

 

捨松は米国に留学し、日本に戻ってきてから戊辰戦争のときには敵であった、しかも会津城に砲弾を投下した本人である大山巌陸軍大将と結婚するのです。いわゆる、仇です。家老の娘と今でこそ地位はあるが平民ということで周りは大変に反対したそうですが、大山巌も海外留学の経験があり、それが二人を繋げたようです。

そして、鹿鳴館の華として諸外国との外交に一役買ったり、日本で初めてのチャリティーを開催したり、看護学校を作ったりと様々な新しいことに取り組みながらも、母として先妻の子供3人と自分の子供3人の6名を育て上げ、妻としても父ほどに年が上の大山巌を立てて、尽くしていったのです。

 

その当時、女性がそのようなことをしていく時に様々に軋轢や批判や葛藤、いろんな障害があったことは想像に難くないでしょう。

 

それでも自分自身の想いを持ち、それに向かってやることをやっていける勇気や西洋の良いところと東洋のよいところを併せ持つところやなにより、その美しい出で立ち、生き方の美しさは学ぶことが多いと思います。

そんなことを調べ、このカレッジでお伝えしていきたいことは今の日本女性が忘れてしまいそうになっている、当たり前の大切なことを大切に想い実行できる力、そして自分の想いを自分の言葉できちんと語れる力、自分という生き方を見つけ、自分ができることをやっていける力、そして美しくある力、西洋と東洋の良いところを併せ持つハイブリッドな女性…そういったものだということがだんだんとわかっていったのです。

 

内容が決まってきました。
そして、名前も松本先生の案で「捨松の名前をそのままつけましょう」ということになり、SUTEMATSUカレッジと命名されました。
(「姫カレッジ」でなくて本当にほっといたしました笑)
この頃、SUTEMASTUカレッジの講師でもあり、様々な面からカレッジを支えている上林先生のセッションをようやく受けることができたのでした。

次回、告知までのドラマについてお書きしましょう。
酒井先生がわたくしとの関わりについてお書きくださったのはこちらの記事です。

「イデア・トランスレーター林ゆう子さんと私の物語1」

「イデア・トランスレーター林ゆう子さんと私の物語2」

「私の最大のコンプレックス」

「林ゆう子さんとの私の物語最終」

 

 

SUTEMATSUとわたくし1「出会い」

SUTEMATSUとわたくし3「覚悟」

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