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父の命日に思うこと

2018年2月28日に父が逝きました。年末のクリスマスに倒れ、緊急搬送されて入院し、長年癌を患っていた父は柏のがんセンターに移り、そこで余命宣告をされます。

1月の半ばに突然電話があり、「俺はあと1ヶ月半くらいだそうだから最後にと決めた病院に入りたい」とのこと。そこは入院するために家族の承認がいるので、私に電話が来たわけです。

 

ああ、そうなんだ…とかなり静かな気持ちでその電話を受けたのを覚えています。こういう時、人は号泣とかするものなんでしょうか。

 

父が最後の場所に決めたのは読売ランドの隣にある最後のための場所。殆どホテルのような設えです。がんセンターではチューブに繋がれ、口に合わない病人食で気分も落ちていて、加えて、その時の担当医師の心ない扱いがなんともやるせなくて、移ってきた当日は、このまま死ぬのでは?と思うような驚くような様子だったのですよ。

 

覇気もなく、小さくなってて。

父は1988年くらいだったかしら、肝臓癌が発見されて、その3年後から数年に一度は癌が見つかって合計8回の手術をしておりました。普通、そんなに何度も癌だと言われたら、凹むと思うのですが、元気なもので年中行事のように手術を受けては戻ってきて、1ヶ月もすれば「赤ワインは身体にいいんだ」と嘯いて飲んでましたからね。

 

「癌と戦わずに共存する」と生前よく言っておりました。宿主が死んだら、お前も死んでしまうだろ、と宥めすかせているようです。

 

 

そんな父が小さくなっていたもんですから、ああ、本当にもうダメなんだ…と覚悟したのですよね。

 

ところがこちらに移ると個室にはワインセラーがあり、有名どころのワインがずらり、先生や看護師さんの扱いも流石に心得ていらっしゃる。

 

うちの父もそうでしたが、ある程度の立場にいた人間が病院に入ってままならない時に受ける扱いには人間としての誇りを失わせるというか、パワーを削ぐ効果があるのでしょう。みるみる父は覇気がなくなっていきました。

 

だから、こちらに移って3日もしたら今度は退院できるんじゃないの?というくらい元気になっていたのですよ。移ってきた最初の日のお昼は食べたいと言って用意して頂いたヅケ丼を食べていましたね。病院併設のレストランには一流店のメニューもあり、美味しいものが好きな父は本当嬉しそうでした。

 

ここの医院長先生とは大学が一緒で(あの大学の方は本当に皆、愛校心に溢れてある意味宗教かと思うくらいですよね)遊び仲間だったのもあり、大変良くして頂いたと思います。
それ以上にまあ、父にはここにこれて嬉しい理由があったのでした。

 

やっと、このことについて書けるかな、と5年目の今日思うのでした。

当時書いた、父の回想はこちらです。

父についての回想

父についての回想2

今とは少し文体が違いますから、印象もちょっと違うのではないでしょうか。
私も色々変化しているということです。

殆ど家にいなかった父。(その血を色濃く受け継いでいるのか私もあまりいませんが…)家のカレンダーは倒れた時にも数ヶ月先まで予定で真っ黒でした。そんな父とゆっくりと話をした記憶は殆どありません。もっともっと色々話をして聞きたかったことがあったな…と今となっては思うのですよ。

 

だから、最後の終末ケアをするその病院に入院してから、できる限りお見舞いに行って父と話をしていたのですが、私が父が亡くなるまでの3週間足らずの中で父と主にした会話はなんと…

 

父の「恋バナ」を聞くことだったのです!

(続く…)

合宿3日目

父の恋バナ

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