Loading

BLOG

努力してなんとかなる範囲を越えてたから

前回、「虚像の一人歩きのごとく」の
続きですって何を書くんだっけ?

ああ、そうそう…
私がどれくらい手を抜いているか、
という話でしたっけ?

そもそもですよ…

できないことに
頑張って頑張って
努力して
出来るようになる、って
凄いことだと思うけど

自分は早い段階で
それは向かない、と
知っていたんです…

私、自慢じゃないですが
類稀なる運動音痴なんですよ…

生半可なもんじゃないんです

体力テストってあったでしょ?
全種目、学年でベベタか
ベベタから2番目よ

跳び箱飛べない
走ったら遅い
ボール怖い
登り棒、下でみてる
鉄棒、目が回るから無理
うんてい?握力なくて落ちた
マット運動、カラダ固すぎ
体操、同じくダメ
ダンス、リズム感なし
球技、ことごとく足をひっぱる
水泳、ようやく溺れない程度
ハンドボール、投げたらそこにおちる

子供の頃、運動ができないって
結構致命的に近い
劣等感に苛まれるでしょ?

もうね、運動会とか
雨になれって祈っていたわ

だから、みんなと一緒に遊べなかったし
「いれてー」って
言えなかったのよね

当時女子で流行っていたのは
鉄棒ですが、
足掛け回りなんて
1回もできなかったし

目が回って落ちちゃうからさ

もうね、観てるだけ…

でも、これだけできないと
努力をしてどうにかなる
そんな範囲を遥かに越えていたのです

photo:01

 

だから、「諦めた

出来たらそりゃいいけど
みんなと楽しく遊べるけど

でも、出来ないなら仕方がないと
人生の早い段階で
諦めることを知ったんだと思う

だからって
1人でいるのを
「ああ、1人だ…」なんて
思っていても仕方がないでしょ?

1人でできることを
次々と編み出していったわけ…

思えば、私のワーク作りって
こんな子供のころから
素地はあったのかもしれないですね…

本も読んだね~
友達が外にいっていて
全く読まない、少年少女文学全集
ってヤツを端から借りて来て

あと、絵を描いていたかな…

自分が出来ない事に
目を向けると
ただ、惨めになるじゃない?

だから
見ないようにする、のではなく
他にできることを探した、って
感じでしょうかね…

あー、そういえば
小学校のとき、本を読む量は
クラスで一番だったし

感想文とか詩とか
書くのはあまり苦ではなく

自分は一体何を考えているのだ?
ということに
子供の頃から興味があったように
思うのです…

飛び箱飛ぶのが嫌で
列に並んでいるときに

「この嫌だと思っているのは
私のカラダなのか?心なのか?」

なんて考えている
小学3年生って不気味だよね…

まあ、友達と遊べない時間に
神社やお寺の裏山で
流れる雲を眺めながら

日長そんなことを考えていたんだもん

まあ、なまじ
色んなことができるのではなく

出来なかったから
諦めが早かったんだと
今は思うんですよ

人生、思えば色々と
諦めというのか、
それを潔いというのか、

スパッとしてきたことは
多かったと思います…

(つづく)

—–

虚像のひとり歩きのごとく

ダイアリーが入賞しました!

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

CAPTCHA


PAGE TOP