先日、『目から鱗の長谷川塾』という勉強会にて宇宙物理学者であられる長谷川晃先生のお話がありました。今回のテーマは「日本固有の文化について」。この勉強会はSUTEMATSUカレッジの卒業生たちが参加できる勉強会です。
長谷川先生って…とおっしゃる方のために先生のご紹介を…。ウキペディアよりも長谷川先生の電子書籍第3巻「日本女性のための幸福論」の書評からご紹介いたしましょう。
アメリカでの生活が長かった筆者が、海外から日本を見た時、世界で起こっている諸問題の解決の鍵は日本女性にあると感じ、その根拠を、欧米諸国と日本の文化的背景について、歴史をさかのぼり、また、国の成り立ちや宗教を比較しながら、解説しております。
筆者は、その中で、日本が諸外国とは全く違った母性社会であり、その中で生きてきた日本女性の、本来持っている能力や価値観が、平和な時代にこそ必要であり、現在の世界を変えていく力があると、主張しております。今回の第3巻も、著名な物理学者である長谷川博士ならではの、物事の本質に迫るアプローチで、歴史や文学、宗教から世界情勢に至るまで、読めば読むほど、目からウロコの内容となっております。
また、この書籍は、筆者が米国での研究生活からの帰国後、1998年から4年間、神戸女子大学で教鞭をとった「日本女性のための幸福論」を基に、再編集したものです。
この中には、当時の女子大生が「幸せ」を、どのように考えているかなど、直接授業で接した女子大生の本音や、世界の平和に対する感じ方と日本人の感じ方の違いなども理解できます。前半では、「世界一すばらしい日本女性」は、特に平安時代の女性にスポットを当てながら、日本女性が歩んできた背景を知って頂き、最も幸せを追求しやすい環境にあることを知ることで、自然と湧き出ずる幸福感を感じて頂けます。
中盤では、日本女性が、いかに恵まれた社会的背景の中にいるかを再認識してもらうために、世界の宗教と思想の大きな流れを紹介しています。そして、現在ほとんどの世界の思想の基盤になっている、男性中心思想と、日本の思想の成り立ちとの違いを通して、世界に出ていく道筋を示す内容となっております。
そして後半では、母性文明の最大のメリットは競争のない時に文化が栄え、進歩することだと、日本の平安時代と江戸時代の例をあげて論じ、今こそ、日本的母性文明が世界にそのノウハウを輸出し、平和の中での文化の進歩に貢献すべきで、こうした世界の大きな流れの中での日本的母性文明の役割を論じ、ここに日本女性が登場することで世界を変えることができるという内容となっております。
そして最後に、こうした視点に立った日本女性の役割と自覚について生涯教育に取り組んでこられた野村桂子しとの対談を転載いたします。
ぜひ、この「日本女性のための幸福論」を通して、女性だけでなく、男性にとっても、「世界の中の日本」を再認識して頂く、きっかけになる事を祈っております。
(Amazonの書評より)
世界的な物理学者でもあられ、様々な方面に造詣が深く、先生の知識量の膨大さに本当に驚かされます。この本も物理学者でありながらの日本女性論ですよ。以前、先生のお勉強会に参加させて頂いておりましたが、物理学者であられる先生の事実から様々な角度で推論を作り、ご自分の見解で新しい解釈を見せてくださいます。
この先生が書かれた何冊かの本にもありますが、長谷川先生は30年くらい前から縄文文化という特殊な文化を長年に渡って持っていた日本という国の特異性を説かれており、これからの社会に大切なものはこの縄文文化にヒントがある…とおっしゃられています。
日本文化とはどこからきたのか?
この日のお話会の中では先生の電子書籍『舞と踊りと日本文化』を基にしてディスカッションを織り交ぜながら進められました。
日本固有の文化とは?
日本人はどこからきたのか?
日本人的ものの考え方をどこからきたのか?
日本文化はどこからきたのか?
こうしたことをお聞きする時間でした。
日本古来の文化とはどういったものがあるでしょうか…
神道、着物、ひらがな、和の心…色々と出されましたが、それらを尊ぶ心とはどこにあるのでしょうか。
先に心があり、それが生み出した神道、着物、ひらがな…などの存在。
こうしたものを考えていくとき、欧米と日本での自然に対する姿勢、考え方が違う…というお話がありました。欧米の自然に対する考え方は自然を支配するという文化。対して日本は自然と調和するという文化。イギリスの庭園と日本の庭園を比べてみても、そのあり方の違いが浮かんでまいります。
宗教でもそうですが、日本は神道があったところへ仏教がはいり、そしてそれが共存している。日本に入ってきたものは日本人の心に合うように合わせていく…ということが起こるのです。
そして、その根底にあるのは1万5千年もの長きの間続いた『縄文文化』という争いが起こることのなかった文化の存在だというのです。今、あちこちでこの縄文文化の話を耳にすることがあるかと思いますが、もう30年以上も前からそのことをおっしゃっていた長谷川先生の先見の目というのは素晴らしいですね。
この2000年の間に人間はどれだけの争いを起こしてきたでしょうか。
長谷川先生のお話の中でそうだな、と思いましたのが歴史学者というものは書かれたものがないとなかなかそうだ、とは認めない。日本で一番古い書物は「古事記」「日本書紀」であるが、それらは当時の権力の影響を受けて書かれたもので必ずしも史実を語っているわけではない、ということ。それに対して、掘り起こされた遺跡というものはそこにどういう解釈をつけるかは別だが、そのものが何年のものか…という事実がある。
書かれたものはなくても、その掘り出されたものが語っていることがあるのです。
縄文時代の遺跡から出土する人骨には傷がないというのです。意味がわかります?争いで命を落とした跡がないということなのです。ここから1万5千年の長きに渡って争いのない理想郷のような世界が日本に存在していたことがわかります。
こうした日本人のルーツのようなお話をお聞きし、日本固有の文化や和の心、自然と調和を考えていく心のベースがなんとなく心の中に形作られていくといいますか、ああ、これが拠り所だったのだ…というような感覚を覚えました。SUTEMATSUカレッジの卒業生の皆様も真剣に聞きいっておられました。
舞と踊り
今回、資料として先生がお書きになった本の中でも語られている「舞」というものについてディスカッション。「舞」という考え方は日本にしかない…というお話。確かにお能は「舞」です。どういうものが「舞」でどういうものが「踊り」とどう違うのか…という話をしてまいりました。
さすがに一年近く1分間スピーチで自分の意見を皆に伝えることを訓練してきたSUTEMATSUカレッジの卒業生たち。日本女性に多い、意見を求められて躊躇してしまったり、手をあげる人が少ない…ということがありませんでした。みなさん、とても活発に意見され、質問され、そして考えていらっしゃいました。
印象的だったのが15年くらい前ですか、長谷川先生と酒井先生がお会いになったビーナスコムという活動をされていらっしゃった時に、随心院という場所でドイツのダンサーの方をお招きしてあるイベントをされたお話でした。
そのダンサーの方々は飛んだり跳ねたりという踊り(ダンス)ではなく、日本の「舞」を舞われたということなのです。それは日本人、外国人という区別ではなく、その場所、身につけた着物、そうしたものを身にまとい、その場にたったときに彼女たちが感じ、自ら「舞」に転じた…というお話。
(詳しくはこちらの酒井先生のブログをご覧ください)
外国人だからといってその調和する心がわからないわけではなく、むしろ自然とそこに合うような振る舞いになってくるということ。その凄さ、というか不思議というか…
長谷川先生がおっしゃってました。大陸から追われたものが船に乗って海へ出るとどんな者たちも必ず日本にたどり着いてしまう、と。縄文の時代も日本はかなりの混血率だったでしょうとのこと。色んなものから追われ、逃げた先にそれらの方々が見た争いのない国。自然の恵で命を繋ぎ、足るを知るという生き方をしていた縄文の人々。たどり着いたその人たちはそこに幻の桃源郷を見出し、住みついていったのではないでしょうか。
入ってきたものが争わず、1つに溶け込む。
その大元はそんな日本の持つ、全てのものを受け入れていくという風土が大きく影響しているのかもしれません。そんな遥かな太古の時代に思いを馳せながら、勉強会は終わりました。
それぞれがそんな日本人の心を持った人間なのだという誇り、日本人であるということの意味を感じた勉強会だったと思います。9月以降の勉強会も楽しみです。
この記事へのコメントはありません。