こんにちは、林ゆう子です。
現実創造の魔法のお話をする時によく思い出すことがあるのです。それは何年前かにTVで見たあるシーンなのです。日頃TVを見ないわたくしなので多分米原に帰っている時だったと思います。セロという若いマジシャンがハンバーガーの写真の載っている立看板から、実際にハンバーガーを取り出して食べる、というシーンでした。
その時に強烈に思ったのですよ。
「世の中は既にここまで来ていたのか…」と。その時のわたくしは「えー、何?トラックでしょー?」とか全く思わずに、意識の力をここまで使いこなすことを人前で平然とできる世界になっていたのか、と驚愕したのです。
自分が想定することをそのまま素直に信じ、それが現実なのだと受け入れられる心境でいるとき、想定したことは現実化されるのです。絵の中から本物が出る訳がないというこの世界の常識を採用せずに、自分の想定を貫き通した時にその想定の現実創造はなされる。
しかし、わたくしたちはそんな訳がない、ということをあらゆる角度から思い込まされています。
流石に看板の絵が本物のハンバーガーになる、を信じるのは難しいですがそれよりは難易度低そうな、例えば自分が成功している世界などを想定しようとしても、そんなことはできないという反対の考えにその想定は崩れ去ってしまうわけです。
こうしたあらゆる自分を閉じ込める考え、前提を払いのけ、自分の魂の望みを思った瞬間に現実に創造させること、それができる自分になることが「悟り」ではないのかとわたくしは思っているのです。
自分の意識、意図が何物の邪魔もされずに伸びやかに実現されていく様であるとき、わたくしたちの意識は一番高い状態で在ります。何ものにも邪魔されないとは外的に邪魔が入らない、というよりは何が起こっても邪魔が入ったとは捉えない心持ち。自分を信じない心や未来を恐れる心もない状態。そして、その想定を軽やかに創造する状態である時、自分はこの世界の秘密、創造の力を手にしているのです。
だから、悟りとは滝に打たれたり修行することでしか起こることではないのだろう、とわたくしは思うわけです。
じゃあ、どうしていくのか?
その道は人によって違うのでしょうね。でも、その1つは遊びの中にヒントがあるのではないかと遊びながら、その時の心の状態を体感させていく、ということをしています。
だって看板の絵から本当のハンバーガーを取り出して食べてみる、ってほぼ遊びでしょ?やったらどうだろう?面白そう!って感じじゃないですか。
わたくしは常識がない人間とも言われますが、ある意味だからこそ、何でもアリなのでは?と思えるのでしょうね。真面目な方、この世界とはこういうものだと考えていらっしゃる方ほど、この辺りの捉え方を変えていくのは難しいのかもしれません。
だから、自分の強力な思い込み、前提を外していく必要があるのですが、その辺りのことについて「現実創造の魔法実践編その2」で書いていきたいと思います。
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