最近思うことがあるのです。
それは
「自分で難しくしている」
ということ。
事実が何か…と人は言いますが
本当は事実がどうなんて
関係ないですよね。
だって、誰も事実がどうかなんて
どうでもいい話なんですもん。
自分が聞きたいように聞き、
見たいように見て、
勝手に悩んで
勝手に怖がって
自分で生き辛くしている…
ってこと。
誰もそんなことを言ってない
という事実があったとしても
「こうしないとならない」と
勝手に決めて、勝手に無理だと
思って苦しくなってしまう。
大体、無理っていうのもねぇ。
どうして、今までの自分の
枠の中で考えようとするのだろう?
明日、たまたま隣に座った
お爺さんが
「あなたのことを気に入った!
あなたのことを応援したい!」と
言ってくれるかもしれないという
嘘みたいな可能性は全否定。
そんな訳ない…って
はなから決めつけて、
できない、無理って思うのって
もったいなくないですか?
いや、そういう人が
現れて欲しいの、欲しくないの?
と聞けば
ほとんどの人が「欲しい」と
言うにも関わらず…です。
いいじゃない、現れても…
(現にそう言う人が現れた人知ってます)
みんな、何自分で選択と行動を
狭めているのだ。
そして、気がつかない。
自分がそう思い込んでしまって
いることを。
もったいない!
可能性を自分で潰していませんか?
すぐに諦めていませんか?
私の愛読書の中にこの
「あるヨギの自叙伝」というものが
あります。
これはね、
アメリカにヨガを伝えたヨギ、
パラマハンサ・ヨガナンダの
自叙伝でして
彼がインドで修行をしている時の
様子が書かれています。
中には長崎のあんでるせんという
喫茶店で見せてくれる奇跡が
まだまだ…と思えるような話が
ごまんと書かれています。
死んだ人が蘇ったり、
一瞬で山の中に豪邸が建って
翌日にはなくなっていたり…
この世界の思考と創造のことを
事実として書かれています。
まあ、多くの人は作り話だと
思うのかもしれませんが…
これくらい私たちは思考を
緩やかにして、
もっと広く大きく、
自分たちの可能性が実現することを
自分に赦していっても
いいんだ、ということを
見せてくれています。
私たちにはその力がある。
それを思い出し、
一人ひとりがそれを幸せのために
使えることができること。
それが悟りではないかと
私は思っているのですよ。
難しくしてませんか。
できないと枠を決めていませんか。
あなたの人生にもっと色んな
存在が関わって
一緒に面白くクリエイトしていく
という可能性を自ら潰してませんか。
今までの自分のさえない
やり方が全てだと思って
未来を望むことをやめてやしませんか。
あるところでね
300万の借金していた
60代のおばさんが
一年半で
月1億稼ぐようになっているのです。
今年は年30億になるそうです。
すごいですよね。
でも、何が凄いって
ここまでではないにしても
億稼ぐ人がゴロゴロ
でてきているその世界で、
そういう人たちって
今までビジネスのかけらも
したことがないおばちゃんやおじちゃん。
何故?ってみんな不思議がるけど
これ、よくわかります。
みんな、かしこくないの。
そう、だから余計なことを
考えない。
こうしたらこうなる…とか
そんなの無理じゃないか…とか
今までやってきてないからこそ、
ただ、信じて
やってみるということを
素直にやってきただけ。
そうか、この人が言うんだから
そうなるんだー
って思って諦めずに続けてきただけ。
望むほうにフォーカスを向けて
そこに向かう選択と行動。
それだけ。
あなたの望みはなんだろう。
本当はどうしたいんだろう。
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