今年の初め…
こんな春になると
誰が思っていたでしょうか。
今日は晴れていて
気持ちよく
窓から富士山まですっきりと
見渡せます。
うちはTVがないので
どこで何人感染者が見つかって…
という報道はほぼ聞いてません。
ネットニュースで確認するくらい。
だから世の中の不安な渦に
あまり巻き込まれていないと
いうことはあると思います。
必要以上に警戒して
この人がコロナだったら
どうしよう?
ちょっと頭痛がしたり
咳がでたら、
「一昨日会ったあの人じゃないか?」
と犯人探しをしたりするの
本当に疲れますよね。
コロナ、というウィルスがもたらす
呼吸器系の異常という症状よりも
人間関係を崩していく
そのことのほうが怖いと思う。
私がずっとお世話になっている
からだごとの先生の勉強会の時に
先生がお話しされていたことが
心に蘇ります。
人のカラダというのは
面白いもので、私たちが考えて
いるよりも意思と意図を
持っているのです。
だから、休ませたい…と
思って原因のわからない病気に
したり、こけて怪我をさせたり
するのだそうです。
それと同じように
カラダの何か、または心の癖を
変えようとして
自分のカラダに何かを呼び込む
ことをするそうです。
…例え、それで死んだとしても。
それくらいに意図を持って
いるのだということ。
そして、
誰もがいつかは死んでいく。
だけれども
寿命にきてない人は
例えコロナにかかっても
死ねない。
もうこの世界でのお役目を
全うできていたなら
コロナでもコロナでなくても
あちらに戻る。
だから、
こちら側に呼び込む理由が
なかったらコロナにはならないし
なっても死ねない。
本当はコロナなんかなくても
いつだって
いつ自分に死が訪れるか
わからない、というか
いつ死が訪れてもおかしくないんだ、
という状況であることを思い出して。
疑心暗鬼になって
人を疑うことじゃない。
私たちはいつだって、いつか死ぬ
その絶対的真実を
いつもは忘れて寝ぼけた状態で
生がいつまでも続く…と
思っていたわけじゃない。
それが違う、
もしかしたら2週間後には
死ぬのかも…という
カウンターショックを受けて
少し目が覚めた状態。
でも、周りに踊らされ
不安にかられ、
ビクビクしながら
疑心暗鬼で生きていくのか
限りがあるのだという事を
受け入れて
だからこそ、今どう生きるか
それを意識的に選べるか…
そんなところにきていると
思うのですよ。
数年前から世界は二分される、と
言われてきましたけれども
こんな風に別れていくのか…と
思わされています。
実際、私の周りにいる方々は
誰かに聞いて知った気に
なるというよりも
自分で調べ、ちゃんと現実を把握し
必要以上に恐れず
今、自分ができることを
粛々とやる…という方々ばかり
なので本当に心穏やかに
いられます。
こんな時こそ
不安になるほうばかりを
見るのではなくて
どうしていきたいのか
この先の未来を
どんな世界で生きたいのか…を
見て欲しい。
それが本当に混乱の中でも
心穏やかな生き方が
できるコツなのだから。
どちらの生き方をしていくのか
今、試されているのだと
思うのですよ。
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