ソルライツの活動は
チーム毎になっていて
私はオリジナリティチームという
沖縄と東京をお聞きする
首里防人さんと
もとIT屋さんで整体師の
将陽さんとチームメンバー。
この二人はとても面白くて
概念的な話をすることが
できるのですよ。
このチームでなかったら
辞めていたかも…
そんな防人さんが初めての
生誕祭をする。
テーマはCHUYO
中庸だ。
これがね、
キョトンとしている方が
多くてね。
ここに中庸と責任を引き受ける
ことについて、
蒼師匠に質問したものを
乗せてみますね。
音声をお聞きしていて
この中庸というものと、蒼師匠が仰る「責任を背負いにいく」ということがめちゃくちゃ連動してる!と感じました。
多くの人の中庸のイメージとは
・バランスを取る
・波風を立てない
・極端を避けるという感じではないでしょうか。
でもこれは中庸ではなくて「回避」
一方で責任を取るということは
・どちらかを選ぶ
・引き受ける
・自分としてその位置に立つということかな、と思います。
この時、一見偏りがあるように
見えますが、責任を引き受けることで
立ち位置が定まり、揺れなくなります。この状態が中庸だと感じてます。
責任を取らずにいると
判断を曖昧にして、なんか自分を守ることに向いていると考えます。結果、中庸ぽく見えますが
その実、ブレブレのどっちつかずに
なるのだな、と思いました。そして
中庸とは、自分の立場を持ちながら、
他の立場の存在も否定しないこと
なのだと思います。
ただ真ん中に立つことではない。
ただ公平を装うことでもない。
自分としての位置を引き受ける。
けれど同時に、
「自分が選ばなかった側にも、
その人なりの理由と景色がある」と分かっている。
責任を引き受ける、
と言うことは・私はここに立つ
・私はこれを引き受けるということで、でも、
・他の側を否定することで自分を守らない
・他者には他者の事情・真実・背景があることを知っているということが必要だと感じます。
これは優柔不断ではなく、むしろ強い在り方です。
なぜなら本当に強い人は、
自分の位置知りながら、
他者の位置の存在も許せるから。未熟な責任の取り方は、
自分の正しさを守るために他を切る。成熟した責任の取り方は、
自分の立場を明確にしながら、
他者の存在も許せる。その静かな感じが中庸の質感に近い気がします。
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