一応、全体を見る立場として
全部に参加しておりますが
講座は複数の講師が担当してるにも
かかわらず、それぞれが他を補完するような
流れになっており
なんの打合せもないのに
素晴らしい展開であるな、と思います。
5回目の昨日は横山和子先生による
茶道を通じて考える、在り方についての
お話でした。
横山先生は50代になったら
2つのことを実行しようとお決めに
なられていました。
それは髪を染めない、ということと
毎日着物を着て過ごす、ということ
それは簡単なことではありません。
暑い日にはTシャツの方がそれは楽だし
涼しいかもしれません。
でも、着物を着続けることで語れることが
あるのです、と先生はおっしゃいます。
先生のお話をお聞きしていて
本当にそうだな、と思いましたのは
そうした先生ご自身の姿勢にもありますように
ただ、当たり前のことを淡々と重ねていくこと
この一見何でもない簡単そうなことが
実は1番難しい、ということ
その積み重ねの上にしか表現できないものが
あることを、その在り方の中で
伝えてくださいました。
日本人の相手を慮る、という心のお話を
お聞きした、その午後
あろうことか、お昼に出て行った受講生が
どなたもお戻りになりません
いつもは早くにお帰りになるのに
よりによって、この日とは…
酒井校長も数分遅れで戻られた皆さんに
厳しいお言葉
後から聞けば、
ある方の靴が壊れてしまい
それに伴い、皆が遅れたとのこと
この1つの出来事の中で
学ぶべきこと、再考すべきことが
沢山あるように思いました。
それぞれがそれぞれの立場で
どうあれば良かったのか、きちんと
考えて頂きたいことだと思います。
誰が悪いとか、ではなく
どうすることが、良かったのか
何を優先することだったのか
今度、同じような事があったとき
自分はどう行動するのか
それを考え、キッチリと肚に落として
頂きたいと思います
数名の方が「このようなことになり恥ずかしい」
とおっしゃられてました。
この「恥ずかしさ」というものが
カレッジの根底に流れる1つの大切な
価値観でもあると思います
ファッション、というところでも
酒井校長が語られてました。
「酒井淑恵ともあろう者が恥ずかしい」
という意識を持つこと
この日の横山先生のお話の中でも
ありました
作法、躾とはねばならない、ではなく
それをしている自分は恥ずかしくないか、
素敵なのか、をいつも見れる自分であること
このカレッジで学ぶものとして
1人のトラブルに全員が待つ事態になり、
遅れるという失態になったこと
そんな自分を恥ずかしく思える感性
ここから、だと思います
自分を律することは優しいことでは
ありません
まあ、いいかと思うこともあります
これくらいなら許されるだろうと思うこと
こんな理由だから仕方ないだろうと思うこと
それを越えて、自分を律するためには
この「恥ずかしさ」が大切になるのです
いい時期に振り返りのいい出来事が
起こったと思います。
くよくよしている場合ではありません。
それぞれがそれぞれの立場で
どうするのか、を考えてみる
そして日常にそれを活かして欲しいと
思います
自分は何をどう、意識するのか
キチンと言語化されることをお勧めします
ぼんやり「意識しよう!」では
また、やらかしますよ
ダイアリーをつけている方々は
8マスのほうに
意識してやる行動を書いて
それが出来たかどうか、振り返りに
お使いになるといいですよ
失敗は成功のもと
ここから、何を学び、どう行動するのか
学んだつもりだけではダメなのです
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