
内的基準、
それは「育てるもの」じゃなくて
「もともとあるもの」だと思ってる。
ただ、多くの人は
長いあいだ外側に合わせすぎて、
その感覚を上書きしてきただけなの。
内的基準は
絶対的なルールとかではない。
朝飲んだコーヒーが
「今日はなんか違うな」
って感じる、その感覚。
誰かの言葉を読んで
「うーん、ちょっと引っかかる」
って思う、その違和感。
そんな感じなの。
でも私たちはすぐに、
「気のせいかな」
「私が未熟だからかな」
「みんな良いって言ってるし」
って、打ち消す。
その瞬間に、
自分の基準より
外の基準を採用するの。
自分の感覚に
他のものを上書きしてしまうの。
これを何度もやると、
だんだん自分の声が
わからなくなる。
だから内的基準を取り戻すって、
すごくシンプル。
違和感を無視しないこと。
好きも、嫌いも、
そのまま一度受け取ること。
正しいかどうかじゃなくて、
「私はどう感じた?」
ここに戻る。
私が食べ物日記を書いてた頃、
意識もしてなかったのだけど
きっと、
やっていたのはそれだけ。
今みたいに
食べログとかもないから
評価とかありきではなかったな。
私が美味しい。
それで終わり。
私がまずい。
それもそれで終わり。
そこに理屈を足さなかった。
内的基準ってね、
言い訳しない感覚かしら。
外に証明しなくていい感覚。
それが整っている人の文章は、
派手じゃなくても
まっすぐ届く。
世界観って、
特別なコンセプトから
生まれるんじゃない。
この「私はこう感じた」の
積み重ねから生まれる。
そしてね
内的基準が整うと、
不思議なことが起きるの。
人を探さなくても、
合う人が残る。
会う人が寄ってくる。
だからね
うちのサロンに来ていらした方は
みんな美味しいものが
好きな人ばかりだったわ。
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