うちには1ヶ月前より、二匹の猫が参りました。
この二匹は広島の保健所で殺処分に
合うところをエンジェルズという
動物愛護団体に保護されて
大阪のシェルターにいたのです。
子猫のルシファーは生まれた時から
人の手が関わっていて
みなさん、愛情を注いでくださいました。
だからでしょう。
人というものは優しく、彼にとっては
友人であり、遊んでくれて
大好きな存在なのです。
だから、誰にでもなつき、
抱っこされても嫌がりもしません。
片やママのサーシャは
飼われていたときもそんなに大事に
されていなかったのでしょう。
妊娠したとわかったら保健所へ持って行く、
そんな飼い主の元で育ち、
連れてくるのも大苦労。
人を嫌がり、距離をとっているのです。
彼女の世界の中では
人というものは酷いことをし
残酷で、警戒すべき存在なのです。
そして、サーシャは多分、保健所で
相当鳴きわめいたのでしょう。
喉が潰れて鳴き声がでません。
ご飯が欲しいときも普通の猫のように
ニャーニャー甘え声で鳴くこともなく
シャーと威嚇の声を出すのです。
彼女にとってはそれが一番大きな声だから…
愛されたい時ですら、シャーと威嚇声。
それが早いうちにわかって
シャーシャー言っているのは
彼女の愛情表現なのだ、と思うと
愛おしく感じます。
サーシャを見ていると
本当にこういう人間がいる、ということを
考えさせられます。
本当は愛されたい、
撫でてもらいたいと思っているのに
シャーシャー威嚇している人
そして、世界は警戒すべきところだ、と
思っているので
こちらが撫でてあげようと手を伸ばしても
それを全て攻撃のために手を出した、
と捉えてしまう人たちがいます。
…可哀想だと感じました。
その人たちの世界の中では
人というものは裏切り、
攻撃してくるもので
最後に自分は見捨てられる、という
世界観の中で生きていれば
どんなことも
そのようにしか解釈はできません。
事実がどうか…というような
ことではなくて、
自分の世界観にのっとったようにしか
ファルターがかかって見れないのです。
だから、世界が優しくしてくれたら
困るのです。
愛されていたら困るのです。
人は戦いを挑んでくるものだと
考えているので、
戦ってくれる相手を見つけます。
たとえ、実際に相手は戦う気持ちも
厭う気持ちもなかったとしても。
「きっとこうに違いない」
「私は排除された」
「バカにされた」
様々な自分の世界観に則った
解釈を出来事につけて
この世界を見て、腹をたてるのです。
人は自分の世界観に則ったようにしか
この世界を認識することができません。
例え、愛に溢れる人のそばにいても
攻撃されるという認識しかなければ
その愛はないものになります。
見えなくなってしまうのです。
そして、自分の世界観のとおり
人は離れていき、
自分が思ったとおりの世界に
生き続けることになるのです。
撫でようと手を伸ばすと
警戒して逃げるサーシャをみて
こんなことを思っておりました。
あなたはどんな世界観で
この世界を見ていらっしゃいますか?
その世界はあなたが本当に生きていたい場所ですか?
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