ここ数日、自分の選択について再考さ
せられる出来事がありました。
自分が信じたものが自分が思っていた
ものではなかったかも…という疑A念が
湧き上がり、正直どうしていいか
わからなくなっていたのです。
自分にはなんの力もなく、あがらう術
もなくて、何をどうしたらベストなの
かがわからなかった…
そんな中、自分の口を借りて何度も
「自分の見たい世界を決める」と
いう言葉が出てきて、その度に一度は
安心するのですが
不安の引力というのは大きくて
私でも呼吸困難になりそうなくらい。
会社員時代、万年胃潰瘍になっていた
私はストレスがすぐ胃腸にくるタイプ
それを察知したのか、昨日はルシが
体調不良になって、動かなくなって
しまったのですよ。
猫缶見せても普段は気違いのように
ニャーニャー鳴いて離れないのに
ただ見るだけ。反応なし。
これはただ事ではない!
その時はわからなかったのですが
完全に私とリンクしていたのだなと
後から知りました。
それが夜に廣青先生の奥様から7/26の
京都の空に素晴らしいダブルレインボ
ーが出ましたよ、とお写真を送って
くださったのです。
それを見た瞬間に涙が出ました。
「良かったね」
自然にその言葉が出てきました。
そうだった、そうだった。
私は何を学んできたのだろう。
自分の力でどうにもならないことを
任せて、信じよう。
自分の運命の力を信じよう、と思った
のです。
その瞬間、私を縛っていた何かが抜け
ストンと落ち着きました。
そのあたりからルシも元気になり、
歩き回るようになって今朝は元気に
ご飯を食べてましたよ。
ごめん、ルシ…
そして今朝は神棚に向かって感謝を
自然に伝えていました。
困難に見える状況を作り、私が自分の
運命の力を、宇宙の力を信じる場面を
作ってくださってありがとう。
<後日談>
そのことについて少し調べて行った
ところ、
あることに辿り着きました。
それはここのところ見聞きする
世界情勢の話を聞いていても
オールホワイト、オールブラック
という状態はない、ということ。
今までの私は少しでも疑わしい、
ブラックなものだとしたらNG、
自分の倫理に通ってなかったら
切る、ということをしてきた
ように思います。
そして、それは私の良い一面でも
あり、悪い面でもあった。
今回、これらを通じて私は試されて
いるのかも?と思っていたのです。
そして環境、周りがどうであれ
自分はその中でどういうゴールを
見て生きるのか、ということを
自分が決めればいいんではないか
ということを思ってました。
昨日ね、久しぶりに上林先生と話す
機会がありまして、流れでセッション
をしていただいたのです。
結果、やはりそこが出てきました。
…というか、5年前に初めて先生の
セッションを受けたときから言われて
いた私自身の魂の課題。
「こうあるべき」とか
決めたものを頑なに貫こうという
枠組みの固さ、ここが問われている
出来事なんだということを
再度認識したわけです。
今年になって見聞きしてきた出来事は
世界で起きていることは黒白の分別が
実はとても難しく、
目的は白であっても黒の要素を
含むこともあり、その反対も然り、
ということ。
全てはどちらの要素もが混沌と混ざる
世界の中で必要なものは
では自分は
それを使ってどうしたいのか、と
いう自分の意図、ゴールを思い描く
ことがただ必要なだけ、という
実はシンプルな世界であったという
ことでした。
手放しても手放しても最後まで
握りしめていたこの厄介な枠組み。
やっと、ここを手放すところに
来たんだという実感がまざまざと
感じられる出来事でした。
この過程の中で沢山の分離や
別れ、はたまた批判や
もしかしたら悪口なども経験する
ことになるのかもしれません。
それらをひっくるめて
全部受け止めようと覚悟を決めました。
自分のこうだと思ったものを貫く
プライドを持つよりも
それを捨て去ったほうが
人のために自分を使えるなら
次はここに取り組もう。
今までは自分を貫く、ということを
やってきて、それが私という人間
だというように自分も周りも
思っていたと思います。
でも、この自分が貫くものを捨てる
という意味はなんでもいい、とか
他人に迎合するということでは
全くなく、
自分という個の意見は強く持ち
ながらも、他を拒否しない生き方
というのでしょうが、
抽象度を高くした状態で
ものを見ていくということに
取り組んでみたいと思うのでした。
廣青塾の6月の動画でもお話して
いるように
自分の中にある苦しみは贈り物。
苦しみこそが霊性を高める唯一の
手段であること。
それがわかると
今、理不尽なことに怒りを感じて
いたり
自分の中に葛藤があったり
不安や心配、何かの苦しみがある時
それを通じてもがき、
考え、悩み、していく中で
自分の魂は磨かれて、大きくなって
いくのだと
だからこそ、すべては
「良かったね」となっていく。
そんなことを心のどこかで知って
いたら、今の苦しみも少しは
意味あるものと捉えられるのかも
しれません。
いやしかし、全ては書けませんが
このタイミングで私という人間の
魂のスピリットチームと
人間として生きるためのチームの
意見が聞けたことは
ここが覚悟のしどきだとハッキリ
認識させてもらえたので
良かったです。
良き流れに感謝します。
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