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母との想い出その3

Vol3.びっくりする母の〇〇

母が安置された葬儀場へ
最初に行った時に姉妹で
話したのが、まず
「お寿司持って行く?」
だったのでした。

 

食べることが大好きで
入院するまでとめられるほど
食べていた母が
病人食が口に合わず食べないで
そのうち殆ど食べれなくなり

先生に「食べたいものがあれば
なんでも食べさせていい」と
言われて

「何が食べたい?」と聞いたら

「お寿司」って言ってたの。

 

お寿司は生モノだから
差し入れできないんだよーと
鰻を差し入れしたんだよね。

 

母はお寿司、特に貝類が大好きで
妹の高校の同級生のお父様が
銀座でお寿司屋さんをやっていて
(銀座では珍しくリーズナブルな…)

 

そこでみる貝ばかりを60貫
食べた、という逸話がある。
(アホ、だし、迷惑だよね)

うちの父も母も年齢いっても
良く食べていたなぁ。

母なんて75歳オーバーでも
ステーキ肉350gなんて
ぺろりだったもの。

 

とにかく食べることが好き。

あとね、
絵手紙を描いていて
毎月のように絵手紙を出して
くれていたの。

それが途絶えたから、と
心配して聞いてきた人もいらした。

一つのことを始めると
とにかく徹底してやっていた母

本当にそれは頭が下がる徹底さ。

 

そして、母は強運の持ち主だった。

サンプランシスコの大地震の時も
3日前に帰ってきていたし

トルコの地震の時もそうだし

母が乗っていた客船が
次の航海で沈没、

乗っていた飛行機がそのあとの
フライトで落ちた…とか

え?なんなの、その呪い?と
思うほどにそういう話があった。

 

ずっと続けていたコーラスで
かなり世界中に演奏旅行に
行ったのではないでしょうか。

普通の主婦にしては
海外のあちこちに行っていた
ように思います。

今、25日のお別れの会までの間は
霊安室で冷蔵保管されている母。

567だと会えないこともあるようで…
志村けんさんみたいに遺骨になって
帰ってくることもあるみたい。

今、行ける時は母の顔を見に
新横浜まで行っています。

この数ヶ月、毎日ヒーリングを
送り続け、人生の中でこんなに
毎日母のことを考える時間は
今までなかったなと思うのです。

 

この育児日記を読んでいると

四六時中、私のことを考えて
くれていた時があったんだってこと。
今更のようにわかって
ただ、ただ感謝が溢れてきます。

 

もっと、ちゃんと話がしたかったな…

 

父は癌で逝きましたが、癌は
いい病気だと言ってました。
脳梗塞や心筋梗塞のように
突然逝くのではなくて、
準備する時間が残されているから
ちゃんとお別れができるって。

 

父は本当にその通り、2/25に
友人全員に電話をかけて話をし、
28日の早朝、寝ている間に逝きました。

自分の死に方、
選べるものなら選びたい…と
思います。


(母の遺影の写真、6年くらい前かな)

 

母との想い出その2

母との思い出その4

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