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無事に退院の日

11/25に脳出血で倒れた主人の退院の日。1人で行けるけど、一応お迎え。

まあ、主人は痩せたからかなりシュッとさて男前に戻ったと思うし、スタッフさんを困らすようなことはしないし、模範的な患者でしたでしょうから、フロアのスタッフの方が全員、病院長も含めてお見送りに出てきてくださいました。
リハビリ病院って結構人生の縮図的な?倒れるまでは会社で威張っていた人もそれまでの状態ではなくて、人のサポートが必要になっているのに、感謝の念がないっていうか、いつまでも俺様をやっている人たちもいる。
だから「〇〇がなってない」とか「〇〇の音が煩い」とかまーまー文句も多いらしい。それ言うなら個室に入れ、入れないなら文句を言うな!だよ、と主人が申しておりました。

 

多くの患者様が自由がきかないから、精神的にも余裕がない中で彼のような存在は一種の清涼剤的であったのだろうな。彼女たちの笑顔をみていて微笑ましかったです。まあ、昔からモテるから、そんなもんだと思っているんだろうね。

身近な人へのアプローチ

だけども、今回の一件を振り返ってみると、主人に対して対応していたのは、どうしても何とかしないとという自我でもなければ、義理でも義務でもなくて、むしろ猫の世話してくれていた感謝から当たり前の恩返しみたいな?

めちゃくちゃフラットな気持ちだったんだよね。

だから、その時救急車呼んでくれた彼女さんにも感情的には何も思わなくて、ありがたいなと思ったし、ついててあげて欲しいなと自然と思ったし、ね。

ただ、この命を繋いで生かすためにできること、というものにだけフォーカスが当たっていた感じ。

他のことは正直、些末なことで。

これが無我夢中って状態なんですかね?

このある程度な距離感があったお陰であり得ない結果を出すことができたように思うのですよ。

だが、これが「絶対に死なないで!」と思っていたらどうだったかな。

まあ、自分がエネルギー遣いだという自負から、絶対大丈夫という根拠のない自信はあったし、ここまでの後遺症が何もない状態は予想してませんでしたが、全て神様のお計らい、1番彼にとってのベストになる、とそれだけ決めて結果についても手放していたからかなぁ。

本当に身近な人が大変なことになったとき、どんな効果が立ち上がるのか、はこの自分の心の状態にかかっているように思いました。

 

エネルギーは面白い。

しかし、使う側の意識の在り方にめちゃくちゃ左右される。どんな意識で、どんな周波数でエネルギーを扱うかによって起こることが変わるんだ。

 

だから、このエネルギーを使う、ということは必然的に人間力を上げていくことに他ならない。自分という人間のブラックな部分も認めて、闇の感情も許して使っていく。

このエネルギーはヒーリングどころか、今の現象も変えていく。だけれども、これを使うためには自分という人間を磨いていくこと、良い悪いではなく、二元論を超えた意識をどれだけ持てるのか。

 

そんなことをこの一連の主人の入院から退院までを振り返って思うのでした。

 

 

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