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光の体験

今年の前半は父が亡くなったことや体調崩した(咳が止まらなくなった)こともあって、久しぶりにトンネルの中にいる感覚を味わった数ヶ月でした。20年くらい前に本当にしんどくって、辛くって自分を変えたくって、でもどうしていいかわからなくって、もがいて、羨んで、妬んで、苦しくってどうにもならないことがございました。

それに比べたら、自分をコントロールする術も気持ちをあげる方法もニュートラルに戻すことも学んできてますし、やってまいりました。でも、そうはいっても「私なんて…」とか「なぜ、できなかったのだろう?」とか「こう思われているに違いない…」とか、なっては欲しくないものを考える時間がとても多かったのですよ。本当、「苦笑」って感じでございました。

それでも、以前とは全然違う自分がそこにはいて、このトンネルもいつかはすぎることをどこかで確信しているので、ある意味安心してのたうち回れるというか、ドツボにハマれるというか、中途半端にもがくことはしなくなったのかもしれません。

思い出せないなにか…

もともと、強烈ネガティブなわたくしは今でもネガティブ。何かあったらまずは「え?それってこういうこと?」と一度はネガティブを想定します。その0.002秒後に「そんなわけないか…」と切り替えるからポジティブなように見えているだけです。もとはネガティブ。じゃなきゃ、ダイアリーのようなネガティブをポジティブに切り替える方法なんて思いつかないですから…。

そんなわたくしが圧倒的にポジティブな気分に切り替えが早くなり、色々なことが変わってきたきっかけについて今日は書いてみようと思いました。これはブログなどにもほとんど書いたことがないことで…。書いたことがないというよりも、書けない…というか。

どこから話したらいいのかしら。会社を辞めて色々なことがあってそれがやっとひと段落した頃、まあボディセラピストとして軌道に乗ってきたある時にふと、「あること」を思い出したのですよ。そう、思い出したのです。あれ、いつだったかあんなことがあったような気がするけれど…?え?それっていつのこと?なんで起こったの?…いくら考えても全くわからない、あることがあったのです。

それは、眩しいほどの光に包まれて、文字通り感謝が「湧き上がる」という体験。
それまでわたくしは両親ともそれほど仲良くなく、むしろ距離があった時代がございました。年に1回、年末から年始にかけての半日しか帰らないことが何年かありました。どうせ批判されるし、会うのが苦痛でしかなかったので、極力会わない、というスタンスでいたのです。ところが、その眩しいほどの光に包まれた瞬間、わけもわからず、なんでしょう、とにかく生きていることに感謝、両親にも感謝、産んでくれてありがとう、育ててくれてありがとう、世の中のあらゆるもの、世界中のあらゆるものにただただ、ありがとう…という気持ちが本当に湧き上がってくる…という体験だったのです。

眩しい光の中で…

そういうことが「あった」ということを突然、本当に急に思い出したのです。なぜ、今まで忘れていたのだろう?と思うほどに。その時のリアルな感情、湧き上がる感謝の気持ちは今思い出しても感じれるほどです。しかし…、何故そんな気持ちになったのか、その前後の記憶がまるでないのですよ。これこれこういうことがあったので、こんな思いが湧き上がりました…というような明確な理由がまるでない。

その起こったことだけが思い出される…という感覚。だから本当にあったことなのかどうかもわからないのです。だから、書きようもないし、眉唾な話ですよね。

本当にこんな光の中でただ、ただ感謝を感じる…というそんな気持ちだけがはっきりと蘇るのです。何故そう思ったのか、前後の記憶まるでなし…です。

しかし、その後両親に「今までありがとう」とメールを送ったのですよ。今まで本当に用件しか話さない、メールも短く愛想もなかったのです。それが、本当にありがとう…と、自分の気持ちをちゃんと伝えたのでした。多分、両親は相当に驚いたと思いますけれどもね。いや、メールがあって良かったです。電話とか面と向かってなんて恥ずかしかったですわ。

ですが、明らかにその後から様々なことが変わってきたように思います。仕事も会社を辞めて、何故かボディセラピストになるも日本中、そして世界中からお客様がやってきてくださってました。まだブログもSNSもない時代だったにもかかわらず…。年収が会社にいたときの1/3になってもそれを楽しめ、自分ができることに向かっていけておりました。コンスタントに売り上げを伸ばしていっておりましたし、新しいことに手をつけても、すぐに軌道に乗ってきたのでございます。

でも、その直前には真っ暗な暗黒、本当にダークな時期がございました。

一番辛い経験の後に

自分の言論の自由、というのは本当に大切だと思っております。自分が自由に思ったことを言える状態であること、これが塞がれると物凄いストレスで、それが高じると殺意を抱く、ということがわかりました。わたくしの場合は、ですよ。これが正しいのだから、こう考えろ。お前が悪い、お前の考えはおかしい、お前はダメだ、お前は価値がない。そんなことを言い続けられたときがありました。
最初は自分が悪いのか…と思って落ちこんでおりましたが、そのうちそんなことはない、と反論するも頭から否定。更に輪をかけて「お前はダメだ」攻撃。それに対して、真っ向から戦いに転じたわたくしは本当に人って簡単に殺せるのかも…と思うほどに殺意を持った時もございましたよ。

先日、ある講座で旦那様に死んで欲しいと思うとおっしゃる方に「そちらではなくて自分がどうなりたいか、どう幸せになりたいのかを考えて」とお話しましたが、あれは経験に基づくことです。そんな無益なほうに思考のエネルギーをかけると自分が消耗するだけでいいことは何もございませんから。

それでも、そのダークへの振り切りがあったので、やっと自分の良さも悪さも受け入れて、「これが私なのだ」と思えたのだろうと思います。そう、ダメだダメだと言われ続け…「そんなことはない!」と反論しヘトヘトに疲れていたのですが、ある時に「そうよ、そのダメでみっともないのが私ですが、何か?」と開き直ったのですよ。そうした途端に自分のことを過小評価も過大評価もすることなく、等身大の自分というものがやっと見えてきたのです。

そして、一人になってしばらくしたときにそれは起こったのだと思います。

だから、一番辛い経験の後ろに絶対にギフトがあるから…というのです。
今辛い状態にあったのだとしたら、その後ろに必ずギフトがあるのですから、安心してください。わたくしもこの久しぶりの落ち方にああ、何かが変わる前触れなのだな…と心の片隅では思ったりしていたのです。そうはいっても落ち込んでましたけれどね。

あの時は「溢れる感謝」でした。ただ、それを感じる…という体験。
今度は何が起こるのでしょうか…。

美しい窓辺にみたもの

6スターという遊び

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