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始まりの時から

2023年を迎えました。

今年は母の喪中のため、
新年のご挨拶は控えますが
今年もどうぞ宜しくお願い致します。

 

 


(2022年大晦日の夕陽)

さて、今年は久々に昔に戻って
毎日ブログを更新してみようかと
思っています。
(…ってこれは遡って書いているけど苦笑)

 

今年は卯年。
私は卯年生まれなので年女です。
ってことは今年は還暦なのね。

ビックリするわ〜。

 

そんなことで今年の最初は自分史の
振り返りをしてみたいと思います。

しばし、お付き合いくださいませ。

 

生まれてから3歳くらいまでの事

私は生まれたのは母の実家の近く、
練馬区にある佐々木病院と
いうところだったそうです。

 

11月15日、よく晴れた抜けるような
秋晴れの日だったと聞きています。

 

当時は父の実家である
中野区野方にあるうちに
1階は祖父母、2階に私立ち家族が
同居しておりました。

昭和の当時の家には
庭に畑、そして井戸もあり、
薪で焚くお風呂、
手で回すローラーの洗濯機、
ポッチャントイレ、
そんなものがあったのを
子供心に覚えています。

 

子供の頃に怖かったもの…

それは母方の祖父が医者だったため、
普通に注射とか薬とか
身近なんですが
(内緒ですよ)
当時、母が祖父に教わって
注射を何かあると打ってくれるのですが
これが痛いんですよ。

子供心におじいちゃんのは痛くないけど
お母さんのは痛い、って
飛びきり嫌いでした。

あと、古い家でしたので
天井の木の模様が
何かの顔に見えて、それが
動いているように見えるのが
怖くて仕方がありませんでした。
(当時は何かが見えていたのか?いや、ないな)

 

後の私に繋がるエピソードがあります。

その一つ、自転車巻き込み事件

当時3歳だった私は父が乗る自転車の
後部座席に乗せてもらい、
絶対に足を広げておくのよ、という
母の言葉を聞きながら出かけるのです。

 

しかし、
子供の私に足をずっと広げて
キープするのはまあまあ疲れる事
だったわけですが…

 

「これ、広げてなかったらどうなるの?」

とふと、思ってしまったのです。

思ってしまったら、
やらずにはいられない性質(たち)は
この頃からもう出来上がっていたようで
はい、ぶらーんと脚を垂らして
みましたところ…

ぎゃー、痛い!

…そうなのです。

自転車の後輪に左足が巻き込まれ
左足の踵がえぐれました。

ちなみに不思議なのですが
うちの主人も左足の踵が
全く同じ理由で抉れて縫っている
というのだからビックリ。

当時の私は言葉も結構話していて
近所のルカ病院というところへ
運び込まれ、
しばらく通院するのですが

入って左の部屋にいくと
痛いことをされる、というのが
わかっていて(処置室だったのね)

「何するんだよー!バカやろう!」
とかって怒鳴っていたそうです。

やれやれ…口の悪い子供を持つと
母は大変でしたでしょうね。

父は大変に悔やんでいたそうですが
ごめんなさい、お父さん、
あれ、私が自分の意思でやったこと。

なんでも、
言われたことを頭から信じずに
自分で経験してみたことを
信じる、というところは
どうやら子供の頃からあったようです。

 

その後、
小学校2年くらいの時かな。

コンセントのね、
金属のところを触るとビリビリ
くるから絶対触っちゃダメって
言われるのです。

はい、もちろん、触りました。

金属のところを持ってコンセントに
差し込んでみましたところ

 

ビリビリーきたー!

ですよ、本当に…
良い子の皆さんは真似しないで
くださいね。

 

そして、
もう一つのエピソード。
これは食べ物に関してですが…

子供のころから
食べ物に対しての感覚は
鋭かったのだと思います。

あれは幼稚園のころだったと
思うのですが、
朝のお味噌汁を頂いて

「これ、美味しくない」と
言ったそうです。

その日から味噌を変えたそうで
おばあちゃんに

「何を言っているんだい。
文句を言わずに食べなさい」と
怒られたことを思い出します。

 

だって美味しくないんだもん、
と酷く憤慨したのも覚えています。

それと同じように3歳の時、
当時、豊年リーバ(今の日本リーバ)に
勤めていた父。

マーガリンの「ラーマ」を作っている
会社ですね。

ラーマを付けたホットケーキを
頬張る子供の写真を撮りたかった
のだと思うのです、父は。

しかしですね、
私はガンとして食べなかったの。

 

それは
母が作ったホットケーキが
焦げていて不味かったから。

無理矢理食べさせようとする
母と父にキレてギャン泣き
したことを覚えています。

 

だって、嫌だったんだもん。

…とまあ、
子供のころから自分がやりたいことを
やっている人間だったわけですね。

三つ子の魂百までも、とは
よく言いますが
本当にそうなのかもしれません。

何もインプットのない
まだ、何からも価値観を
入れられてない私は
何が好き立ったのだろう。

そんなことをちょっと振り返る
時間をこの年の始まりにとって
みたいと思いました。

お付き合いくださいませ。

できるテイが大切な理由(わけ)

おじいちゃんの庭

コメント

    • 上妻扶久子
    • 2023年 1月 04日

    読んで、私もあるあると思いました。
    幼児の頃、自転車の車輪の足はさみ、
    小学生の頃のコンセント電流バリバリ、
    やってみないとわからない、
    やらないと気がすまない。
    今も本質的に変わってないです。
    あと、幼児の時、母の作った梅酒が美味しくて、
    母のいない時飲んで、酔っぱらってました
    今も飲んべえです。

      • HayashiYuko
      • 2023年 1月 04日

      ふくちゃんもそんな子だったんですね。
      私も祖父の作った葡萄酒をよく飲んでました。密造ですよね笑
      でも、こういう感覚って大事だよなって思っています。

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