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能動的に生きる

毎月1回の師匠に教えを頂ける日。
最近では、みんなの質問の質が変わっきたものだから、師匠から引き出される情報が半端ない。本当にどこでも聞いたことがないことをお聞きし、多分私たちでないとできないことがこの世界では沢山あるのだ、ということをリマインドするのだった。

能動的に行動する

今回の師匠からの教えの中で、何度も出てきたテーマは「能動的に行動する」ということではないだろうか。

11月に脳出血で倒れた主人がなんの後遺症もなく、無事に退院できたということについて師匠に質問をしてみたのだった。3年前にコロナの最中入院した母を送った。その時は母はよくなることはなかったのだが、これは天命だと感じていたが、それはそうだったと。
そして、私自身の経験値もまだまだだったから…ということもあったそうだ。

そして、私的はそこに「何がなんでも助かったほしい」という我がなかったからよかったのでは…と思っていたのだが、そこはあまり関係ないとのこと。(そうなんだ!)
それよりも、私が能動的に行動していたから、それにエネルギーが乗ってこの結果をもたらしたとのこと。

能動的に行動する

エネルギー使いはついつい、エネルギー任せ、神様まかせという究極の技があるのだが、それだけにせずに自分も動くということ、結局はここなのだということを今回、改めて思うのであった。

自分は何を意図してどう行動したのか。

結局は神はいつもそこを見ているのだ、ということ。いつだって主体は「私」なのだ。私がどうしたいのか、どういう現実を立ち上げたいのか、そのために何をしているのか。

確かに三次元的に身体を使って病院に通い、最初の頃は毎日脳のケアを遠隔で行い、先生の話をお聞きするために何時間も待ったり、まあ、やってましたよね。

 

ちょっと話は変わりますが、22日名古屋LaboでSOS(なんの略?)というソルライツエネルギーを使ったコーラス部活が始まった。これが本当に素晴らしく楽しくて。

その中でこんな話があったのです。

3人で歌を歌うよりも、20人で歌う方が責任が薄まって隠れられるみたいな話をした人がいたと。それを聞いてJJ先生はそうじゃないよ、と。20人の時はみんなが全力を出すから、素晴らしいハーモニーが生まれる。だけれども、その中の何人かが自分はそんなに声を出さなくていいや、と手を抜いたら、それが何倍にもなって表現されてしまう、それは3人の比ではないということを仰っていた。

つまり、そういうこと。

自分はやらなくても、誰かがやってくれるだろう、と思っていたらそれが倍増してしまうということなのだよ。これ、怖くないですか?

結局ここも自分が能動的に関わっているかどうか、なんですよね。

このSOS素晴らしいから、是非出て見て欲しいです。次回は3/20の14:00-だそうですよ。

 

価値を知る

もう一つのテーマは自分、そして与えられたものの価値をきちんと理解するということ。

与えられているものの価値をちゃんと認識して、腑に落とす。ここがみんな甘いんだよね。だから、自分自身の価値もわかってない。言語化されていない。何故、あなたのセッションを受けるのか、あなただから受けるという価値。

ここは深掘りしていかないとならない部分。

ちょっと今日は時間ないので、ここまでで…

 

30さんまる

Bトリニティというセッション

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