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内なる声に従って…

今は主人の実家であります米原は琵琶湖の前にきております。自分の実家にいるよりもここにいる方が落ち着いて心がリラックスできるというのも、良いんだか悪いんだか…。無意識に入ってくる音が家にいるときは自動車やバイクの音であるのに対し、ここは琵琶湖のさざ波の音なのですから。少なくともα波になろうというもの。

 

3月一杯の休業宣言をして2月20日あたりから全ての仕事をキャンセルしてきたこの期間にあったこと、思ったことなどご報告を兼ねて書かせて頂きますね。

実はこの時間は自分の休養もですが、3月いっぱいと余命宣告をされた父との時間を取るためでございました。そして、父は3月を待たず、2/28(水)に永眠し、3/2(金)に身内だけで葬儀を執り行いました。

内なる声を聞く

父はもう20年間、肝臓癌と共存してきました。本人曰く、戦うのではなく共存、お前もいきたいならこの宿主を生かせ…という気持ちでいたようです。その間、8回の開腹手術に内視鏡手術は何度もしていたそうです。我が父ながら、あっぱれです。
普通、取ってもとってもまたガンだと言われたら心が折れると思うのですが、父は生きることを諦めなかったのです。家族さえも知らないような病名もあったり…。

そんな父が年末に外出先で倒れまして、緊急手術を受けていたのです。胆管のつまりからくる肝不全とのことでした。その際に一命は取り留め、ホームである柏のがんセンターに転院となり、治療に当たっていたのですね。しかし、1月終わりに余命は3月いっぱいと宣告を受けて、本人前々から最後はここで…という緩和ケアの病院へと最後の転院となりました。
でも、心のどこかで父ならまた復活するのかも…と思っておりました。

 

だから父から余計があと少し、と電話をもらったときは冷静だったのです。「ああ、こんな時にも涙もでない自分なのだな…」と思いました。わたくし、お悔やみの時にもあまり感情的になることがほとんどなく、自分でも冷たい人間なのだ、と思っておりました。ところが…数日後、わたくしの心の中にギャン泣きをしている小さな子供がいることを感じたのです。
「お父さーーーん、お父さーーーん、お父さーーーん、嫌だ、やだよーーー」って。

 

自分でもびっくりしたのです。でも、その瞬間から何をしていても涙が止まらなくなりました。話をしていても、ご飯食べていても…。こんなに感情が動いていることは実は生まれて初めて、ではないかと思うくらいでございました。コントロール不能…本当にそんな感じでして、父の前で涙しないようにするのがやっとでございました。

 

しかし、1月にインフルエンザに生まれて初めてかかり、そこから風邪が抜けずに咳が止まらないでおりました。肝臓が悪い父にとって風邪菌は大敵でして、風邪を治さないとおちおちお見舞いにもいけません。しかし、3月で大阪サロンを引き払うために仕事もやることも目白押しでございました。

 

でも、わたくしの内なる声は、どうにかして父のところへ行かないと…と強く思っていたのです。ギャン泣きするくらいですから。しかし、仕事を一月も休むなんて…と頭で考えて怖くてできなかったのですね。相変わらず、ご飯食べながら涙を流すわたくしを見ていた主人が申しました。

 

「後悔しないようにしなさいよ。自分はオヤジのときにできることはやったから後悔はないよ。
そんな今入っている仕事なんて全部やめて、おやっさんとの時間を作ったらいいじゃない」と言うのです。他の方からのお話しもあり、頭で考えることをやめて三月いっぱいは休養に当てて、自分の体調を整えて父との時間を過ごすことと決めました。

 

それが2月20日頃。ところが急にまたインフルのような症状が出てきて、これはまずい…ともう潔く、2月に入っている仕事も全部辞めて身体を整えることに専念しよう、と決心いたしました。治して、父のところへ行けるだけ行こうと思ったのです。翌日から大阪…という時にご無理を言って講座も延期させて頂きました。…と2月の仕事の予定を全部キャンセルし終わった翌日、体調が良くなり、父のところへ数日間通うことができたのです。

26日も元気で話をしたので、これならしばらく大丈夫だろうと27日に荷物整理のために大阪にまいりましたんですね。その翌朝です。病院からの連絡を受け、何もせずに慌てて東京へ戻ったのです。

 

前の日まで普通にメールをし、電話をしていた父。眠ったままに全く苦しむこともなく逝きました。多分翌週から痛みが出てくるかも…という矢先、痛みで苦しむ姿など見せたくないという父の意思が最後も自分で決めて逝ったようです。本当に穏やかに寝ているような死に顔でした。

 

3月から休んでいたら間に合いませんでした。2月の後半はほとんど大阪で仕事が入っておりましたので仕事を続けていたら父と話すことは叶いませんでした。頭で考えて、仕事を休めない…と思っていたら大切なものを失ってしまうところでした。

貴重な時間

ですが、数日間でもゆっくりと父と話をすることができました。わたくしがそれまで知らなかった父の一面を知ることができました。実はわたくしは長年、父としてのMM(父の名前は伏せます)という人間に対して違和感を持っていたのです。説明のつかない、なんというか不満?何か片手落ちな感覚をずっと持っていたのです。それがこの数日間の間に人間としてのMM(父の名)を見ることができ、「そう、そうなの、これなの。わたくしが見たかったのはこの人間MMなの」と心から喜んだのです。

父は81歳でしたから、この年代の方々と同じように企業戦士で家にはほとんどおらず、ゆっくりと話をすることもなかったです。褒めてもらったこともございません。ですから、どちらかといえば苦手意識のある父でございました。
それがこの数日間を通じ、人間味のある父の姿を見て、わたくしは父のことが大好きになって父を送ることができました。

 

この時間が持てたこと、これはわたくしの今後の人生を書き換えるほどに貴重な時間だったと思います。

 

2月、3月と入っていたお仕事をキャンセル・延期にさせて頂き、頂戴した時間を本当に大切に使うことができました。
そのような我儘を快く許してくださった皆様、本当にありがとうございました。

3月いっぱいは引き続き、体調を整え、新しい4月からの企画などに専念いたします。
新しくスタートする外見コンサルのほうも4月からモニター募集をメルマガを通じてさせて頂きます。どうぞ、楽しみにしていてくださいませ。

そして、父との時間の中で気づいたことや、知ったこと、また少しずつ書かせて頂きますね。

 

 

休養期間のお知らせ

父についての回想

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