この半年以上、自分の感覚を
磨いでいき、
なるべく、自分で決めるということを
していくようにしてました。
前回の記事で「感じる」ことを
していくと
嫌なこともはっきりとしてきて
なかなかに大変、と書きました。
そして感じるだけでは
先に進めなくなる、ということも…
自分はこれを
「心地よい」と感じている。
自分はこれは
「心地悪い」と感じている。
それがはっきりしてきたときに
次にすることは
まず、じゃあ自分はどうするのか?を
決めること。
「心地良い」を選ぶのか
「心地悪い」と知りながら
それをやることを選ぶのか…
どちらが、いい悪いではなく
自分はどうするのだ、
というところなのですよ。
そして
「心地よい」を選ぶために
貫くために
やらないとならないことが
出てくるかもしれません。
それは
周りを説得する、ことだったり
嫌なことをやらないと宣言する、
嫌いな人と付き合わない、
自分の望みをはっきり伝える、
ということかもしれません。
今の自分においては
ちょっと難易度が高かったり、
避けてきたことだったり、
そうするくらいなら
自分が我慢すればいい、と
周りの意見を優先したりしてきた
そんなことに立ち向かう必要が
出てくるのです。
「心地悪い」と知りながら
それをやる、続けるという
選択をしたのだったら
それでもそこが楽しくなるよう
工夫をする、
そこに対して必要以上に
心地悪さにフォーカスしない、
人や環境の文句を言わない、
というような
やったほうがいいことが
出てくるのですよ。
ここをやらずして
自分の軸を作るとか
自分で人生を創るとか
選び取る、とかは
できないんですよね。
自分が選びとったもののために
それを貫くための
どんな行動もしていく
ということが必要となります。
こう、書くともの凄い覚悟を
決めないとならないと
勘違いする方もいらっしゃるけれど
自分が本当にしたい、
ということを実現してあげる(自分のために)
と決めたなら
あんまり「やらねば!」と思って
肩に力をいれてやるようなことは
ほとんどないように思います。
むしろ、ただの「やるべきこと」に
なっているというかね。
だいたいね、
起こってもいないことに
ビクビクして
人生の半分以上も満喫しないで
あちらに帰ろうとしている人が
多すぎますよね。
そんなもん、
乗り越えられる力があるんだから
なんの心配をしているんだか、と
思ってしまうんですよ
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