No17は「完璧」
このシリーズはENMAカードという
言葉のカードを引いて出てきた言葉で
思い出すエピソードについて
コラムを書いています
これは今、必要なことは何?
という問いかけのもと、
カードの言葉を通じて私の中から
浮かび上がってきたエピソードを
もとに書いています。
私は「完璧」という言葉が嫌いです。
そもそも完璧なんてないと思っているので
完璧主義っていう人を
なんて傲慢なんだ、とちょっと
思ったりするわけです。
ああ、正確に言えば
今できる自分のベストを尽くそうと
する人は大好きです。
自分の今の完璧、を目指すのは…
ですが、「完璧主義」という言い訳を
言っている人が
あまりに多いんでね、嫌いなの。
「つい、完璧にしないとダメだと思って…」
って聞こえはいいんですが
いやさ、そんなのいつまで経っても
できないし、
今の自分の状態をきちんと
把握するっていうことが
怖くて出さないだけでしょ?
っていう人が多いんだもん。
私の好きな漫画に「ブリーチ」
という死神の話があるのです。
この中で結構好きなキャラに
涅マユリ (くろつち まゆり)という
マッドサイエンティストの死神が
出てくるのです。
戦う相手を人体実験の材料と
してしかみてない。
この人の言葉
「完璧な生命、か…世界には完璧な物など存在しないのだヨ。」
「凡人どもは完璧に憧れ、それを求める。
だがネ、完璧に何の意味がある?
何も無い。何も、何一つだ。」
「私は完璧を嫌悪する!!
完璧であれば、それ以上は無い。
そこに創造の余地は無く、それは知恵も才能も立ち入る隙がないと言う事だ。」
「我々科学者にとって、完璧とは絶望だヨ。」
「今まで存在した何物よりも素晴しくあれ、だが、けして完璧であるなかれ。
科学者とは常にその二律背反に苦しみ続け、更にそこに快楽を見出す生物でなければならない。」
…とまさに完璧の幻想を
打ち砕く名言だと思っています。
完璧になってしまうと
それ以上の成長もなく
変化もない。
私は変化がないものほど
絶望に近いものはない、と
思っているのです。
世の中は常に変化をしている。
(もちろん本質は普遍なものもあるが)
変わらないもの、も
その表現、あり方、影響など
変化している部分がある。
だから、これでいい、とか
こうしていくべき、とか
決められたルールとかが
嫌いなんです。
もちろん、ルールは守ります。
ですが、合わなくなったら
それは排除するとか変えるとかの
対応が必要だと思うのです。
そもそも、ルールは
人が生きやすくなるため、
よりよく生きるために
作られたはずなのです。
なのに、変わっていった人に
合わせるのではなく、
ルールに人を合わせるのは
違うと思うのですよ。
なんのためにこのルールは
作られたのか?ってこと。
私はいつも世の中の
こうした部分に目がいきます。
なぜこれは、こういう形なのか?
なぜこれは、ここにあるのか?
なぜこれは、こういう表現なのか?
そして、思うのです。
「なんのために、これなのだ?」と
変えたほうがいいもの
なくてもいいこと
しなくていいもの
体制がそうだから、
ルールだから
いつもそうだから
誰かが言ったから
そういうことが大嫌い
これでいい、
これが完璧、と決めたもの
それが本当にそうなのか。
そして、書いたように
幻想の完璧を目指すなら
そこに終わりはありません。
いつまで経っても
できない、ということになる。
だから、私が採用しているのは
完璧ではなく
今のベストを尽くす
ということです。
そして、それは終わることなく
よりよく、ということに
なると思う。
この今のベストを尽くさずして
その先の完璧を目指す、という
人が多いように思うのですよ。
今できる最高をやらずして
その先なんてなーい!
あなたは、完璧を目指すのではなく
今のベストを尽くしてますか?
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