何かの発明というものも、すべてがゼロから起こるわけではありません。今まである何かと何かを組み合わせて、新しいものができる、ということが起こります。
同じように、思想や考え方、新しいアイディアなども本を読んだり、何かのセミナーや講座に出たり、師の教えを頂いたりして自分の中に取り入れるものですよね。
ですから、自分の中からでた新しいものなんていうのは、ほぼないと言ってもいいでしょう。
それはモラルとか品性
そういうわたくしもあらゆる本を読み、長年かけて様々な講座に行きましたが、そこで学んだことを例えば、自分のブログに書く場合に気をつけていることがあります。
それは出典を明らかにする、ということです。
誰々先生がおっしゃるには、先日の講座でこのようなことを聞いて、自分はこう思った、自分の経験に照らし合わせるとこういうことなのかも…というようにそれを受けて、自分の言葉で書く、ということを意識しています。
本を読んでの場合もです。この本にこうした言葉が載っていました。それを読んで自分はどう感じたのか…というように書きます。
決して、自分がさも言っているかのように書くことはいたしません。
しかし、こうも情報が溢れていますとどこかで見聞きしたことを、ご自分の経験のように語られる方も少なくはないでしょう。むしろ、それのどこが悪いの?とお思いになる方もいらっしゃると思います。
こんな話をお聞きしました…
ある施術家の方が、ご自分がされていたカウンセリングやツール、施術のやり方を来たお客様がそっくり真似をされて、あろうことかご本人に「こんなの作りました。見てくださいー」と言ってきたというのです。
信じられませんでしょ?
でも、それが当たり前に許されることだと思っていらっしゃる人達がいらっしゃるのですよね。これを読まれても、それのどこが悪いの?と実際に思っていらっしゃる方もおられるかもしれません。
これは、人のモラルとか品性の問題だと思います。
わたくしはそういうことはしたくないし、関わる方にはそういう生き方はして欲しくないと考えます。少なくともわたくしがお付き合いをしている方々はこうしたことに、わたくしと同じ考え方を持っていらっしゃいます。
ですから、そんなの悪くないわよ、周りだってやっている、みんなやっている、と周りの友人とかに言われそうよねーと思うのか、はたまた自分はそういうことはやめよう…と思うのか。という自分の生き方の表れになってきますよね。
正直、それを良しとする方々と付き合うなら、その程度だと思います。
もし、そうしたことを今まで考えたこともなかった、意識したこともなかったというのでしたら、是非、今日から意識してください。
バレなければいい、と思うのも同じ。
お天道様は見ている、という感覚大切ですよ。誰が見てなくても、自分はそれを知っている。お天道様は見ている、その感覚を大事にしたいです。
でも、いますでしょ、そういう方。
さも、自分が考えたことのように得意げに語っているけれど、それ先週〇〇先生がおっしゃっていたことよね?っていう方。
下品じゃないですか、そういう方って?
こうしたところから、世界は二分されていきます。
是非、わたくしと関わる方々には意識レベルを高く持っていて頂きたいのです。そのようなお手伝いができたら…と思うのですよ。
やがて自分のものになる
この出典を明らかにする、ということもどなただったかの本を読んだときに書かれていて、ああ、同じだわ…と思ったのです。その方が付き合う仲間に注意された話が載っていました。さも自分のことのように話したら、そういうことをしていると自分の品を落とすと言われて、それ以来必ず出典を明らかにするようになった、という話でした。
そして、読んだ本、聞いた内容を本当に意識していますと、それは自分の経験に変わってきて初めて自分の言葉として出てくるようになるのです。
いまは、情報はいくらでもとれる時代です。
あちらこちらでいい話を聞いた、と思うこともありますでしょう。それをシェア、という形で広めていく機能があるのは素晴らしいことですね。できればそういうようにしたいです。
そうではなくて、さもご自分が言っているかのように表現する、それは美しい在り方ではないと思います。どうぞ、今一度ご自分のあり様を振り返ってみてくださいませ。
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