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ものごとの背景に想いを馳せる

去年から何度か行かせて頂いている
農のリトリート。

農を通じて、様々なこと、
このいのちを生きるということを
考えさせられるプログラム。

田植えひとつにしても
稲の気持ちになって
どこに植えて欲しいかを
感じ取って稲と対話して
その場所に繋げていく。

 

菊芋を、カボチャを1つ植えるにも
どっちの面を上に向けたらいいか
1つ1つ対話して決めていく。

そんな手間をかけて育てられたものと
良し悪しではないけれども
機械的に植えられたものでは
様々なものが変わってくるだろう。

でも、私たちはその結果しか
見ていないことが多く、
例えば野菜として並んだ時の
形や大きさや値段というものしか
そこに見えてない。

でも、
その背景にはこんな手間と時間を
かけて作られたものだったり

これを生み出す人の思いだったり、
どれだけの人がこれを準備して
くれたんだろう、という感謝だったり、

スーパーで買う野菜としての
価値というか、商品としての
良し悪ししか見てなかったところから

その作る過程に少しでも携わり
その野菜一つにも宿る思いや
関わる人たちのことを感じれる
ようになったら
物の見方も変わってきた。

物を大切にしようという想いや
安直に安いからと買って
使わなくなったら捨てる、みたいな
消費的な考えでゴミを増やしたくない
という想いや

作り手の顔が見えるものを選びたいと
いう想いもだけれども

この手元にあるものを見て
その背景を、ここに来るまでの
道のりを

そのものや事柄に宿ったストーリーを
感じたい、という気持ちが
無意識にできつつある。

こうしたことが
見えない、ここには直に会うことはない
それでも関わってくれた人たちへ
感謝を送ることになるのだろうかと
思いながら…

あなたの手元にあるそれは
どんな物語を持って
今、ここにあるのだろう…

ハウツーから離れて…

治らないと言われて…

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