Loading

BLOG

茅野日記275:足りないの捉え方

先の記事で「頑張ること」に
ついて書きました。

その中で
「足りない」から頑張っているけど
ここにも違いがあるなと感じて
いるので、書いていきます。

 

先日、『ブルーピリオド』
という芸大を目指す主人公の
頑張りを描いたアニメを
見ました。

絵を描くって凄まじい
自分との対話なんだな、と
感じたのですが…

この主人公の八虎は
ある日突然、目覚めて
芸大にいくことを目指して
頑張っていくのですが…

 

そこには
目標に対して
圧倒的に足りてない自分
というところからの頑張りです。

スポーツでもなんでも
そこは「足りてない」ところ
からの頑張り。

 

健全な努力をしている人は、
「今の技術がまだ足りない」
「このフォームの精度がまだ足りない」
「この表現には、あと少し深さが足りない」
と見ているのね。

でも、やめた方がいい頑張りの人は、
いつのまにかそれが、

「私が足りない」
「私には価値がない」
「私はまだ認められる存在ではない」

にすり替わっているの。

ここが一番大きいと感じます。

スポーツ選手が
「タイムが足りない」
「筋力が足りない」
「練習量が足りない」

と見るのは、現在地の確認。

でも、それが
「だから自分はダメだ」
「勝たない自分には価値がない」
になると、
努力は成長ではなく自己否定になる。

つまり、

不足を“課題”として見ているのか。
不足を“自己存在の否定”として見ているのか。

ここが分かれ道。

健全な「足りない」は、
未来への距離を測っている

スポーツ選手が
水準に達するために頑張るとき、
その人は
「今の自分」と
「到達したい地点」
の距離を見ている。

これはスポーツ選手に限らずだけど。

 

まだ届いていない。
だから練習する。
だから身体を作る。
だからフォームを見直す。

これは、自己否定ではなく、距離の測定。

 

地図で言えば、
「現在地はここ。目的地はあそこ。では、この道を行こう」
ということ。

 

この場合の足りなさは、敵ではない。
現在地を教えてくれる情報。

 

だから、努力に明晰さがある。
何をすればいいかが見える。
改善点が具体的になる。

不健全な「足りない」は、自分そのものを裁いている

 

一方で、苦しくなる頑張りは、
「まだ足りない」が課題ではなく、
存在評価になっている。

たとえば、

「もっと売れないと、私は認められない」
「ちゃんとできない私は価値がない」
「結果を出さない私は愛されない」
「失敗したら、全部終わり」
「休んだら置いていかれる」

これはもう、
技術や水準の話ではない。

自分の存在を、
成果の上に乗せてしまっている。

だから、
頑張っても頑張っても
安心できない。

なぜなら
本当に欲しいのは、
技術の向上ではなく、
「私はこれで存在していていい」
という許可だから。

 

明確な違いは「失敗したとき」に出る

一番わかりやすいのは、
失敗したとき。

健全な努力をしている人は、
失敗したときに痛みは感じる。

悔しいし、落ち込むし、泣くこともある。

でも最終的には、
「何が足りなかったのか」
「次に何を変えるか」
に戻れる。

失敗は、
自己否定ではなく、
情報になる。

一方で、
自己否定の頑張りをしている人は、
失敗した瞬間に、

「やっぱり私はダメだ」
「私には価値がない」
「もう見られたくない」
「消えたい」
という方向へ落ちる。

失敗が情報ではなく、
存在へのジャッジになる。

ここが決定的。

 

もう一つの違いは「休めるか」

健全な頑張りの人は、
休むことを戦略として扱える。

身体を回復させる。
感覚を戻す。
集中力を再生する。
だから休む。

もちろん焦る日もある。
でも、
本質的には休息することに
罪悪感を感じない。

一方、
自己否定から頑張っている人は、
休むと罪悪感が出る。

「こんなことしていていいの?」
「もっとやらなきゃ」
「休んだら遅れる」
「何もしていない私は価値がない」

休むことが、
価値の喪失に感じられる。

これは、頑張りが目的地に
向かう行動ではなく、
不安を黙らせるための行動に
なっているサイン。

スポーツ選手の「足りない」は、
自分を信じているから見られる

ここ、すごく大事なのではないかな。

本当に成長する人は、
足りないところを見られる。

なぜなら、
足りないところがあっても、
自分の価値は壊れないと
どこかで知っているから。

「ここが弱い」
「ここが甘い」
「ここは修正が必要」
と言えるのは、実は強さ。

自分を裁くためではなく、
可能性を開くために見る。

だから、健全な不足感には
信頼があるんだ。

今は足りない。
でも、伸びる。
今は未完成。
でも、向かっていける。

この「でも、向かっていける」がある。

一方で、苦しくなる不足感には、
信頼がない。

今は足りない。
だから、私はダメ。
だから、早く埋めなければならない。
だから、止まれない。

ここには未来ではなく、
追い詰められた現在しかない。

つまり、違いは
「不足の奥に信頼があるか、恐れがあるか」

同じ「足りない」でも、
その奥にあるものが違う。

健全な努力の足りないは、
信頼に支えられた不足。

苦しくなる頑張りの足りないは、
恐れに追い立てられた不足。

 

前者は成長を生む。
後者は消耗を生む。

前者は、現実を見ている。
後者は、自分を責めている。

前者は、課題に向かっている。
後者は、不安から逃げている。

前者は、失敗しても学びに戻れる。
後者は、失敗すると存在が崩れる。

 

そんな違いがあるのでは…
とこのアニメを見ながら
ぼんやりと考えてました。

(185/100)

茅野日記274:頑張るということ

茅野日記276:豆腐ガレット風

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

CAPTCHA


PAGE TOP