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すり替えの怒り

最近、あちこちで見かける現象

それは怒りのすり替え
(すり替えの怒り?)

 

と、でも言えばいいのでしょうか。

 

 

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それはどうも、本当のことを指摘された時に

起こっているようにお見受けします。

 

 

薄々は言われたことに関して

その通りであることに

気づいている場合もありますが

 

 

意識では、そんなことはない!と

思っていることもあるのかもしれません。

 

しかし

無意識のうちに、そこについては

そうだと思われるのでしょうね。

 

 

 

そこではない、

何かしら、多くはその言った方の

人格に関する様々な評価として

 

 

「あの人(先生)は人として最低だ」

というような、そんな物言いをなさる。

 

 

これ、不思議と皆さん同じパターンみたいです。

 

 

 

もっとも、本当に変な方もいらっしゃると

思いますけれどね。

 

 

 

そして、腹立つことが起こったということは

ある意味成功なわけです。

 

 

知らなくては、もう前に進めない

違う自分になりますよ、という

そういうところから

 

 

何に意識を向けるのか

それがわかった、ということでしょう。

 

 

そして、もう1つ

 

 

 

答えは安直に手に入らないです

 

 

自ら考え、答えを出すことが

必要とされている人に

こうだよ、と人が言ったところで

本当の意味で理解できませんから。

 

 

安直に変化を求め、

あちらこちらでも言われているはずのことを

やろうとしないで

取り組まないで

見ようとしないで

 

 

他の道を探したところで

遠くなる一方でしょうね。

 

 

その見ないとならないことを

向き合ってみるかどうか

 

 

 

まあ、何にしても

取り組まなければ

形を変えて何度でも来ちゃうのかな。

 

 

で、きっとそれも気がつかないんだろうけどね。

 

 

ああ、私はそういうところがあるんだ、と

受け入れるとこらからだと思います。

 

 

今はわからなくても

あるのだとしたら、どういうところかしら?と

考えてみる

意識してみる

 

 

そんな一歩ではないかしら。

 

 

そして、それができる人たちは

本当に変わっていくわ。

 

 

見たくない自分をちゃんとみる

 

 

 

あと、本当に変わりたいと言いながら

変わらない、いや、変わりたくない人達は

素直さを履き違えているように感じます。

 

 

 

言っとくけど

あっちこっちでセッション受けたところで

自分にご都合いい解釈して

見るところ、見ないんじゃ

なーんもかわらんから。

 

 

まあ、いいけどね。

その人の人生だしね。

 

 

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まあ、本当に何をどんだけ受けても
人に言われることを
てんで聞いてないで

自分が凄いと言ってくれる人を
探し求めているうちは
変わるわけないでしょうけどね。

まあ、そのうち今世も終わると思うけれど。

 

 

 

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ジャカルタ運転事情

橋渡し鑑定、順次しております。

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