わたくしには昔から普通のことでしたが、目の前の方が何かをお話されている時、「本当にそうか?」という思いが湧いてくるのです。
それは綺麗事をおっしゃる、その気持ちの裏でそう在りたいと思いながらも、そうではないブラックな思いが渦巻いていることだったり。
こうなりたい、こうしたいとおっしゃる話をお聞きしながら「そこではないな」という思いとともに、全く違うその方の姿がイメージされるのでした。
ですから、わたくしは自分のことをとても天邪鬼で言われたことを素直に受け取れない人間なのだと長らく思っておりました。流石に「そんなこと、思ってない癖に」などと面と向かっては申し上げれませんから、いつしか無口になり、人が苦手となりました。
昔は世の中を斜めに見ていたのだと思います。
どうせ、そうじゃないくせに、という半ば怒りのようなものを持っていたのです。子供の頃ですが。しかしながら、かなり早い時期から「人とはそういうものなのだ」と思うようになりました。
こう在りたい、という気持ちを持ちながらもブラックな気持ちもあるのが普通。これを何となく知ることで、自分のブラックな面も普通に受け入れてきたのだと思います。だから、嫉妬したり、妬んだり、自己卑下したりしながらも、それをゼロにするのではなく、ほんの少しだけ切り替えるだけでいいという考えになったのでしょう。ブラックな面をなくすことに必死にならなくていい。
自分の本音はどこにあるのか。
わたくしが提供する全てのツールや思考術、講座にはこの考えがベースにあります。
完璧な自分でなくていい。それでも出来ることがある。
人は色んな感情を感じ、他人からどう見られるか、どう評価されるのか、どういう自分であらねばならぬかなどを常に考え、その中からどうしたらいいのかを無意識に選び取っています。それが本当に自分がしたいことか、望みなのかは置いておいて。本当はやりたい心の奥の野望、とでも申しましょうか。どうある、とか環境の縛りとかなかったら、本当にはこうしたい!これをしたい!ということが渦巻いていたりしているのをよく感じます。
ですから、こう在りたいとお話されるその先に全く違う未来が見えていることもあるのです。
どこかでお気づきになって、本当にやりたいこと、こう在りたい姿へ向かって行かれることもありますでしょう。そうではない、という選択をされる場合もあるでしょう。
どちらが良い悪いではありません。それでも、思いますのは魂はそれをやると決めて、その能力、経験をお持ちになってここにいらっしゃる。それを使って自分ができることをする時に、どんな形であれ、1番世の中の役に立つことをされることになります。
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