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大切なことを大地から知る

前回、10月に淡路に芋掘りの農体験に行ったのです。かなりなハードスケジュールだったのですが、本当に行って良かったと心から思ったのでした。私の中の抽象度激変化、という体験だったのです。それについてはこちらの記事に
http://yuko-hayashi.com/hakusyo/20201101/

再び、淡路へ

前回の体験がここ最近ないくらいにガーーンとショックを受けたものですから、今回はもう何を置いても!という気合いで参加しておりました。

 

淡路という場所は第1回目のミステリーツアーに選んだ場所でもあり、それから何度も訪れることになった場所でもあります。最近ではパソナの本社移転で話題になっておりますね。でもパソナは土地を買い占め、プチバブルが起こっているそうですが地元では、高騰してパッと打って儲けて撤退ではないか、と見ている人が多いですね。お金のためにはなんだってやるんだからね、Tさん、ブラックだし。

「ガイアの夜明け」という本の中でも語られていますが、これからの時代の中心に来るのがこの東経135度ライン、と言われていてその上に乗っている場所でもあるわけです。そんなこともあって、ここで体験していることはこれからの時代のものなんだな、という感覚があります。

ここにいらっしゃる人たちにとっては、あまり嬉しくないことですよね。

さて、当日三宮のレンタカー屋さんで待ち合わせして、皆で淡路を目指します。近くの公園に車を止めて畑まで歩きます。初日は玉ねぎの植え替え。淡路の大事な作物、玉ねぎを植え替える作業は年に1回、今だけの作業です。

玉ねぎは最初は密集させて芽を出させるそうです。すると上へ上へとまっすぐに伸びるという性質があるから。しかし、目が出てからは根っこを大きくさせるためにはこの間隔では狭すぎる。そこで植え替えるという作業が必要になってくるわけです。

この植え替えもこの畑では15cm間隔で苗を植えて行きますが、「収穫量」という尺度を使うともっともっと、となって5cm間隔でうえることになるのです。しかし、玉ねぎにとっての心地良さということを見るとどうなんだ?ということ。こんなこと1つにも何をみているのかというものが反映されていきます。


(今回植え替えた玉ねぎの苗、可愛いでしょ?)

植え替えだって、ギュッと土を押えたらそこは土が硬くなってしまって環境が変わってしまう。ほんの一握りの土にも微生物が何億個といるのです。それが農薬を撒くと3種類くらいになってしまうということ。この目に見えない存在たちがどれくらいのことをしてくれているのか。前回はそこを本当に感じることとなりました。

 

この日説明してくださったのはビオアグリの代表をされている柏木さんという若い青年。息子って言っていいほどお若いのですが、本当にしっかりされていて未来に対しての確かなビジョンをお持ちなのです。柏木さんはご自身の祖父母が八百屋さんをされていて子供の頃から野菜や果物に囲まれていたそうです。それを豊富に食べてきたのに病気になられたことで現代の食というものに疑問を持たれ、人を良くすると書いて「食」という本当の意味での食を作る農に携わりたいという気持ちから淡路に来られたそうです。

そんなことを考えながら、玉ねぎが気持ちよくなるように考えて苗を土に置いていきます。土には石も入っているから退けたり、ギュッとしないようにと思いながら。大地を踏むときもそっと踏みしめないように。土に手をつかないように、土を被せ過ぎないように。

そんな玉ねぎ植え替えチームと前回稲刈りをして干していたものを脱穀するチームに分かれて作業。この脱穀の作業がなかなかに面白く。今時こんなの使っているのみたことあります?
これ、どっから持ってきたんだろう?


この方が柏木さん。足踏みオルガンのように足で踏んで中の棘のついたサイクルを回して、それに干した稲穂の束を当てて実を落としていくのですよ。実際には1人ではとてもできないから、踏む人と脱穀する人と2人でやります。

 


(奥の紺の帽子を被られているのが柏木さん)

この機械自体も上のも博物館に展示されているくらいの年代もの。手動でハンドルを回すことで風を送って籾殻を飛ばし、重い実の入ったものだけが手前の袋に入る仕様になっているのです。

脱穀機で残ったものをみんなで手で落としていきます。晴れた空の下、車座になって作業していく中で色々なお話をお聞きしたり。その中でお聞きしていたお話。

 

御食国

御食国(みけつくに)という言葉をお聞きになったことはありますか?
日本古代から天皇家に食材を貢いだとされる3つの国、それが淡路、伊勢志摩、若狭なのだそうです。

海も山も豊かな土地であるということ。昔、むかしから。その淡路は食物の自給率は優に120%を超えるそうです。温暖で優しい気候と海と山。海辺ギリギリにも家が立っているのをみて、太平洋側に住んでいると大丈夫かしらと思いますが、このへんの海は穏やかであの震源地となった阪神淡路地震の時でさえ、淡路自体は津波の影響はなかったそうです。

思った以上に豊かな山々と農地と海と。そして高速バスが通っているため、意外と便利。三宮に出れば新神戸から東京までも4時間半くらいだそうです。
移住者の方が多く、そうした方々がとてもセンスの良いお店をやっているので本当に美味しいものばかりがある、ある意味天国。

この日ランチに連れていって頂いたピザ屋さんは廃材を使って6年かけて作ったという建物。に見晴らしのいいお庭。キャンプ場とレストランが併設されています。


(向こうには海も見えるのです)

出てくるものがとにかく美味しい。
私は小麦アレルギーだったので、ちょっと他の方が食べていたものは食べれなくて。


島ソーダはスダチスカッシュ。さっぱりと美味しい!


ビオアグリさんで採れたカブを使ったサラダとスープが優しいお味。奥はヤーコンのきんぴらです。淡路で頂いたお野菜のどれもがピカピカで味が濃くて、美味しいのです。

こんな綺麗な畑から採れるのですから。美味しい=美しい味なのです。

午後からは人参畑でみんなが持ち帰る人参を抜く作業。前回も頂きましたが、畑の中で抜いたばかりの人参をガブリ!前回よりもより大きく甘くなっていました。

自然農で作ったお野菜、味は濃いのですが見た目はスーパーで見る人参よりも小さく感じるものもあります。均一に揃えているわけではないので大きくするための肥料も撒いてません。
土の中にいる微生物が美味しくなるように働いてくれているのです。農薬を撒いてしまうとこの微生物がいなくなり、自分たちではどうしようもなくなるので、肥料を撒かざるを得ないという悪循環になります。

前回も書きましたが、害虫だからと「駆除」するという考え方ではないのですね。他の植物にとっては助けになる虫だからと活かす=生かすのです。

小さいから、と言って役立たずとも言われないし、ダメでもないのです。それは人と同じこと。伸びてないから、成長がないからダメって言われたら悲しいですよね。みんな大事なこたち。

そのことを家に帰ってきてから、お土産の子の人参を母に見せた時にハッとしました。
「人参か?えろう小さいなぁ」と何気なく言った母の一言が最初、意味がわからなかったのです。「小さいって何?」って。でも、そうだ、昔、10年以上前に自然農をやっている人からお野菜が届いたときに人参を見て「小さっ!」って思った、私。と思い出したのです。
そうだ、あの時はまだ大きい=価値がある、という概念があったんだなと。

この小さく見えるこの子の後ろにどんな手間隙がかかっていて、どんなストーリーがあるかを知っているから、この小さく見える人参もとても豊かで愛らしい、ということを自分は普通に感じているのだ、ということがわかってちょっと感動しました。

 

人参はそれ自体は糖質が高いと言われますが(甘いもん)葉っぱと一緒に食べると低糖になるのだそうです。セロリ科だから、この人参の葉もセロリのような使い方ができて、パセリの代わりに薬味にしたり、ご飯に混ぜても美味しいです。天ぷらも綺麗で美味しいですね。

 

この日の夜は宿で淡路で捕れた鯛やたこなどのお刺身と山で捕れた猪の肉と自生のクレソンを塩だけで炒めたもの、ビオアグリのお野菜をたっぷり使ったサラダ、地元の美味しいカレー屋さんのサツマイモのカレーと里芋のカレー。お米はみんなが前回刈り取ったお米を炊いたものだそうです。もう、食材がピカピカしているよ。



もうね、満たされますよね。本当に。

豊かさをどこで感じるのか

お食事もご一緒した柏木さんがおっしゃってました。
食が確保されているとこんなに安心だと思えることはないです。そして、この素晴らしいものを育んでくれる大地、様々な目に見えない存在たちの力、それはもうなんの見返りも求めずに差し出してくれているもの。こんなにも多くのものを受け取って育った恵を頂くこと。
それを感じながら食べる食事が豊かでないわけがない。

私たちは今まで食してきた全てはそういうものを通じてできたものたち。既にこんなにも多くの豊かさを私たちは受け取ってきているということ。
それを感じれるか、感じれないか、ここで豊かさは変わるでしょう、と。

今回、2日を体験し、柏木さんのお話を伺い、このことが心に沁みました。翌日、畑で聞いていたこうしたお話。

こんなにも無条件に与えてくれている土地を汚してはならない。そして、こうしたことを体験し、大切だと思える人たちを増やしていくこと。これは本当に重要なことだと感じたのでした。食に対する意識を高める。簡単、楽ちんばかりではなくて、ちゃんと見て、ちゃんと向き合って、ちゃんと交流していくこと。

豊かさって、もうこんなにも自分の周りにあって、この見えない存在たち、微生物たちは無条件に与えてくれている。それに育まれた命を私たちは頂いている。それだけでも、こんなにも豊かだったんだ、私は…。

もう既に豊かさに満たされていた、という感覚は満たされている、とか満たされていないとかいう感覚ではないのです。言葉にはしにくいですが、もうそこにあるのだから。

空が何もない、ということではないのと同じ。

頭でわかっているつもりになっていることとは全く違うこと。ここに来なかったら、きっとこの体感はわからなかった。

こんな農の体験をしたくないですか?

淡路に、そしてこうした形の農に心が震えています。これからしばらく、通っていくことになりそうです。素晴らしい体験の時間をくださり、本当にありがたいです。この感覚、なんだろう、これからが楽しみです。

視点を変える

12/09ゆるエレ登場

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