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空想にふける子供

さて、中野は野方のその家には
小学校1年生までしかおりませんで
その後、父の転勤で関西へと移るのです。

ここに戻るのは私が大学1年のときでした。


(大学の入学式に制服着て…妹たちと野方の新しい家の前で)

 

やはりお姑さんと暮らすのは
母親には窮屈だったようで、
母にとっては天国
のようだった
そうでした。

 

後に母曰く、
この野方の家から出て行くとき
父が大きく出世したと言ってました。

 

関西では兵庫県の西宮は
甲東園という街に
住むことになりました。

ちょうど関学と
神戸女学院の山の間です。

 

 

私は結局、
この後を含め17軒の場所に住む
ことになるのですが、

もし私が海外で暮らす時があれば

どこの風景を
日本の思い出として思い出すのか
と考えたことがあります。

 

それは多くは
この土地で見聞きし、
体験した場面や風景なのかしらと
感じます。

 

 

私はあまり子供らしい子供では
なかったかもしれません。

運動神経がなく、
外遊びが苦手で
とても人見知りでしたので

自ら率先して

「入れて〜!」と誰かのところへ

行くなんて
全く出来なかったのです。

 

 

そんな私の子供時代の楽しみは読書。

友達が読まない
少年少女文学全集とかを借りて
読破してました。

休みの日、
まだ読んでない本を数冊持ってきて
畳の部屋に寝っ転がり、
ひなが本を読み続けて
おりました。

 

西陽がさす時間、
陽を避けてどんどん畳を
移動していく様を
畳の目に延びる西陽の光と共に
覚えています。

 

そんな私は空想の世界の住人で
見えない世界があることを
見えないながらも
知っていて

今思えば何故見えないのか?と
まるで今まで見えていたはずのものが
見えなくなったかのように

 

空を仰ぎ、
神社や寺の裏山に入り、
その見えない存在達が
現れるのを待ち続けて
いたように思います。

 

 

私は空想の中で空を飛び、

お城に住み、
花畑を歩き、
森を歩いていました。

 

しかし、

今思えばそこに
私以外の人は誰も
いなかったように思います。

 

…本当にそうだったのかしら。

ふと思って、

当時の空想空間にチューニングを
してみました。

 

すると、

そこには三次元的な
人というものはいないのですが
意識体としての存在、

そして

何故か寂しくない、という感覚と
「人としての私」は寂しいと
感じている、という
不思議な感覚を感じていたのを
今はわかります。

 

このソルライツ・チューニングの
力は子供の時はまだその源と
繋がっていて、誰もが使えて
いたものが大人になるうちに
閉じてしまい、
使えなくなるそうです。

 

それを思うと
子供の頃はまだ彼方の世界と
繋がっていたのでしょうね。

 

振り返って思い出すと
私は子供の頃の方が
もの凄く哲学的?
宇宙の真理に近かったように
思うのですよ。

 

運動神経のない私は
跳び箱を跳ぶために
列に並びながら、
「この『嫌だ』と思っている私は
身体なのか?心なのか?」
考えているような子供でした。

 

門戸厄神の裏山に登り、
流れていく雲を見ながら
思っていたこと。

この世界は1人ひとりが
見ている夢の世界なのだ。
それが折り重なるように
この世界を作っている、と
いう感覚。

どうやって、とか
仕組みとかは全く
わからないけれど

 

ただ、

そうなんだ、と思っていたの。

 

でも、
そんなことを考えていたことは
長く、本当に長く忘れていました。

そう、だからこの世界は
自分たちの見たいように
映し出される…と
知っていたように思います。

 

私がこうしたことを思い出して
きたのは
色んなことが人生の中で起こり
暗黒時代を過ごした後でした。


でも、きっと
あの時代がなかったら
思わなかったんだと思います。

 

『自分の心の浮き沈みを
コントロールするボタンを
自分の手に取り戻したい』

とか

『この世界って
 なんでこんな風に思った通りに
 ならないんだろう?

この世界の仕組みを、
真理を知りたい』

とか心から
思わなかったでしょうから。

 

子供の頃、
サイン帳とかいうものを
交換しませんでしたか。

 

卒業の前に回して
クラスメイトたちから
何か一言書いてもらう、という
ものだったと思うのだけど。

 

私は子供の時、
好きなこと、に
「空想すること」っ
書いていたように思います。

 

そして今は
その空想、イメージすることが
仕事となっているのです。

 

この世界は人の願いと祈りで
できている。

誰かの

「こんなことが出来たらいいな」

「こんなものが見たい」

「こうしたい」

そんな沢山の想いのかけらが
魂の源のエネルギーともつれ
それがこの世界へと顕現する。

 

人の望み、純粋な欲望が
この世界へと顕現する様を
私は見たいと願っているのです。

 

あなたにはどんな願いが
どんな祈りがあるのでしょうか。

おじいちゃんの庭

名付けの意味

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