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意見と批判は違うもの

先日、高校の同級生が亡くなってお通夜にいった後に

同級生たちと久しぶりに会話をし

当時のことを思い出したのですが…

 

 

確かによく話し合い、をしていたな、と

思うのですよ。

 

なんかある度に

それをしていたように思います。

 

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仕事をしていても

当たり前のことなんですが

部門が違えば立場も違い

見ているところが違います。

 

 

すると、各々の求めているものが違い

どこに力を注ぐかも変わってくる。

 

 

この時に必要なことは

きちんと自分の意見を述べることと

自分の利益だけではなくて

最終的目的はどこにあり、

そのために今、必要なことは何かを

考え、実行すること、だと思います。

 

 

そのために、意見を出し合う、

話し合う、

討論する、

違うものは違う、ダメなことはダメと言う

ということが必要になります。

 

 

 

こうしたことに慣れてらっしゃらない

女性の方々、いえ、女性に限らず、ですが

ここをクリアーにするための話し合いが

成立しない方々がいらっしゃる。

 

 

 

自分が思った、こうしたらいい、という意見が

 

今はそこではなく、こちらの方が大切

その前にこれが必要、と

意見を言われた瞬間に

 

 

 

自分の意見が受け入れられない

=自分が受け取らない

 

 

くらいの感覚をお持ちになり

過剰に反応する方がいらっしゃいますね

 

 

 

これでは仕事はうまくいきません。

 

 

自分は蔑ろにされた、

軽んじられた、とお考えになるよりも

 

 

ネガティブフィードバックが来たら

自分の中のあるべき姿と照らし合わせ

(仕事であれば、目指すゴール)

 

 

いま、何が必要かを見極め

そこに対して、必要であれば

自分の意見を変える、修正する、

といった対応も必要になってきます。

 

 

 

この時に

 

 

「どうせ私は経験ないから」

 

「あとから困っても知らないけどね」

 

など、自分を卑下する言葉や

自分を受け入れなかったことに対しての

呪い?の言葉を出す必要はありません。

 

 

 

ネガティブフィードバックのあとの

その人の在り方に

人間の器、が現れやすいです(苦笑)

 

 

 

とはいえ、

自分も悪態つくこと、ありますよ。

特に絶対違うけど

みんなの総意が違う方だった時とか。

 

そんな時は自分ってちっさ!って

思い、大反省します。

 

 

 

また、私の場合は

意見を述べる時に端的で

回りくどい言い方をしませんので

相手に斬られた感を与える、という

そういうところがあるのは反省ポイント

 

 

ですが、その人自身のことと

その人が提案したことは全く別ものなので

その人を悪く思うことは、ほぼないです。

 

 

同じく、その方が前出の自己卑下や

呪いの言葉を発したとしても

残念だな~とは思いますが

その人の人間までを否定したりすることは

あんまり思わないです。

 

 

 

滅多にないですが

私の中の人としての受け入れラインを

超えた瞬間に

私の世界からいなくなります(怖)

 

 

 

まあ、それはどうでもいいのですが

 

 

とにかく、良いものを作り出そうとするとき、

そして1人ではなく

人が関わってくるときには

こうした意見を交える機会が

増えてくると思います。

 

 

こうしたときの自分の在り方も

意識するポイントでしょう。

 

 

大事なのは、いま、見る必要があるのは

どこなのか?を意識すること

 

 

 

大事なことは何か?

それをイメージできて、

何が大切なのか選べる力をつけましょう。

 

 

それは何のためにすることでしょうか?

 

 

 

より良いものを作り上げる

自分であるために

そうしたチームの一員であるために

自分のケチなプライドは捨てる

 

 

もっと大きな自分になろうじゃないか!

 

 

 

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—–

格好悪い人たち…

必要としている人へ渡す

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