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2.本を読むこと

子供の頃、1番好きなことは?と聞かれましたら、迷わず「本を読むこと」と答えておりました。

なんせ、運動神経というものがカケラもない。外で遊ぶことがきっと大好きな子供が多かったでしょうが、わたくしにとってはそれは「死」にも等しい、辛いことでした。

予定より2ヶ月早く生まれたわたくしはきっと母のお腹の中に運動神経を置いて来たのだと本気で思っておりました。

それはそれは、想像にならないことになってしまうのですよ。跳び箱に激突して崩したり、雲梯(うんてい)から落ちて意識不明になったり、組体操をすれば背中に乗せた子の重さに耐えられず、顔面から潰れたり。

三半規管が弱く、鉄棒などの足掛け周りなんてとてもとても…。登り棒登れない、走ったら遅い、ボール競技は恐怖のため呼吸困難。

こんなに運動しそうな身体つきなのに、とよく言われます。

そんなわたくしでしたから、1人で遊ぶことも多く、その時間の殆どを読書か妄想散歩に費やしておりました。(今と変わらない!)

夏休み、今でも覚えている光景は西の窓辺に毎年植える朝顔のグリーンカーテンがその年も茂っており、木洩れ日が畳の上に影を落としています。

わたくしは近所の友達の家にあり、友達は一冊も読まない、少年少女文学全集なるものを借りて来ては読んでおりました。

毎回、読書の前には決まった儀式のようなことをしておりました。トイレに行き、手を洗い、お茶とおやつを用意して準備万端にして読書に臨むのです。日差しが西に傾くにつれ、日陰だったところに日が伸びてきて、それにつられてずりずりと本を持って日陰に後退したものです。

読書は運動オンチで怖がりで友達と遊ぶことも迷惑かけるとできなかった少女の最大の楽しみでした。

本の中の主人公たちは勇敢で頭が良く、好奇心旺盛で何でもできてしまいます。少女はその彼や彼女らに自分を重ねることで現実には出来ない体験を想像の中で叶えていたのです。

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何度も何度も読み直した、「誰も知らない小さな国」はコロボックルのお話。絶対にどこかにこんなところがあると少女は毎日お願いしていました。

「私にもその姿を見せてください」と。

そうして毎日、神呪厳島神社や門戸厄神の裏山で一人ボーッと空想したり、空を眺めたりするか家に帰って読書していたのです。相変わらず、不思議なものは見えませんでしたが。

そんな不思議な世界が大好きで、世界七不思議や考古学、歴史の話も好きでした。将来は考古学者になって遺跡の発掘をしたいと考えてもいました。

読書はなんの力もなかった少女に色んな可能性があることを教えてくれました。

何かをする時に方法は1つではないこと。突拍子もないことがブレイクスルーに繋がること。

どんな力のない者たちも小さな行動を始めることで、それは冒険に繋がっていくこともあること。

誰にもそのタンスの扉をノックする音は聞こえているかもしれないけれども、本当にその扉を開けて見ようと思う人は少ないことも。

そして、扉を開けた者だけがその不思議な世界へと行けることを。

本を読むということで、その昔そこに生きたその人と会話をしている気持ちになるのです。

何を伝えようとしているのか、それを自分は受け取れているのか。時を超えて遥かな彼方から、伝えてくれているそのことを受け取れたとき、何か化学反応のようなことが起きて新しいものが生まれてくる。そんな感覚があるのです。

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