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抽象度をあげると

抽象度、という言葉をお聞きになったことはありますか?

抽象度が高い=情報量が多い、抽象度が低い=情報量が少ない、という状態になります。
どういうことでしょうか。

うちの猫のルシファーと隣の猫のミケは違います。でも、猫という括りにしたら一緒です。でも裏の家の犬の太郎は違います。猫と犬は違うから。でもペットという括りにしたら?猫も犬も同じになりますね。でも鯨は?(ペットにしている人いるかしら)すると動物という括りになると鯨もその中へと入ってくるのです。

これが抽象度の高い、低いということを表しています。つまり、1番抽象度の低いのはルシファー。高いのが動物という概念。

このあたりのこと図解しているサイトがありました。ご覧になってみてください。
https://kuwamoto-coaching.com/archives/5136659.html

抽象度が低いと

上の例で考えますと、1番抽象度が低いルシファーという概念でものを考えますと、うちのルシファーだけのことを考えます。ほぼ毎日のように彼はゲーゲーやって毛玉を吐いています。
心配!どうしよう!何か病気かしら!

主人が言います。「猫ってそんなもんじゃね?」

あ、猫ってそういうものなんだ…と安心する。これ抽象度が上がって楽になる例。

つまり、抽象度が低いままだと視野が狭くて、自分の経験したことだけでものを考えようとしている状態。今までの自分が慣れしたしんだ方法でのみ、何かをやろうとしている状態といえましょう。また、うちのルシファーだけが良かったらいいの、という視点になりやすい。

どうでしょう?

例えば、自分が経験もしたことのない何かを実現しようと思った時に、今までの経験の中から自分が今までやってきた、選択してきたやり方、考え方、人との付き合い、をし続けようとした時にその経験したことのない未来を実現できる可能性ってどうでしょう?

限りなく、ゼロに近くなる…ということがわかりませんか。

何故なら、その今までの選択が作っているのが現在のあなたなのだから。

抽象度をあげると

反対に抽象度が高いとどういう状態になっていくのでしょう?
自分のペットが幸せなら嬉しい→全ての猫が幸せなら嬉しい→全てのペットが幸せなら嬉しい→全ての動物が幸せなら嬉しい→地球に生きる全ての生命が幸せなら嬉しい

とものを考える視点が変わることがわかります。

ルシファーのことを考えるのと地球の生命にとって良いことはなにか…と考えるのでは自ずと出てくる答えが変わってくるのです。だから、そんな全ての生命について考えないまでも、一つ抽象度を上げるだけで解決する問題も多いということです。ただし、おわかりの通り、いつもいつも抽象度が高い状態でいればいいってものでもない。

主人のことを見るときは、「主人」という個人を見る必要があります。でも、なんでこういう質問に「それが何なの?」とか答えてきて腹立つー!ってときには抽象度をあげて、こういうタイプの男性は人の言葉の向こうを察する能力があまりない、でも反対に決断は早いし、起きていることに対応は早いな、とか無駄に怒る必要もないということ。

これができないと様々なことにイライラし、自分の思い通りにいかないと腹を立てて、他の人のこと、先に起こること、それを選んだらどうなるのか、という視点に立てないから反射反応で行動したり、大きすぎることを言い出して目の前の問題に取り組めない(抽象度が無駄に高い状態)ということが起こるわけです。

このあたりのことをもう少し、勉強されたかったらこちらの本がお勧め。

具体と抽象 ―世界が変わって見える知性のしくみ https://www.amazon.co.jp/dp/4907623100/ref=cm_sw_r_cp_tai_DS4LEbCBSBAGP

抽象度は低いまま、1つに固定されたままでは変化についていけません。
どれだけ、この上げ下げが自由にできて囚われないでいれるか、ということが情報空間を操る=現実創造の大きなポイントとなるのです。

抽象度をあげるには

情報空間の先生であるHASUMI先生がこんなことを言われていました。

【まずショックが必要です】

抽象度はショックでしか上がりません。

 

そしてショックには、カルチャーショック、

ヒューマンショック、ネイチャーショック

3つしかありません。

 

だからまずショックを受けてほしいのです。

新しい知識を自分の理解出来る方法で解釈したり、

受け取っていたら、ショックはありません。

 

自分には納得出来ないやり方や知識を

いったん全部受け入れてそのやり方や知識で

考え行動してみる。

これが大事です。

私も情報空間の講座をするときに常々申し上げているのが「わかろうとしない」ということ。こうした概念的なものを学ぶ時に、過去の自分が遭遇した何かに置き換えて「ああ、こういうことね」とか思ってわかった気にならないでくれ、とお伝えしています。

「わかった」と思った瞬間に脳は考えるのをやめてしまいますから。だから、わかったつもりにならないで、ぼんやりとふわっと「こういうものかもー」とざっくりと受け止めて、まずはそういうものなんだと思って使ってみてくれ、とお願いしていました。

あとね、このショック、というの本当わかります。

なんじゃ、こりゃ?というものに出会った時に今までの自分にはない高い概念や全く異質のものやどちらかというと嫌っていたものの中に自分を成長させる何かがある。

いつまでも自分の今までのやり方、心地よさにこだわり続けるとそこ止まりなんですよ。

私、夏からある商品群の代理店になっているのですが、まあ、その様々なことが今までの自分だったら絶対にやらないようなことの連続でしたよ。面倒だし、今までみたこともないような人種が沢山いるし。もちろん会ったこともない素晴らしい方々もいらっしゃる。

でも自分が未来、こうありたいという姿を見るために今までの「心地良さ」を追求していたら絶対に手に入れられないものがある、と直感的に思ったのです。だから、心地悪くてもやってみようと思った。でも心地悪いままだと上手くいかないのを知っているので、ゲームだと思うことにしたのです。ゲームだからおいそれと手に入らないし、回り道もしないとならない。
意外なところにクリアするお宝があったりして。

そう思うと今まで嫌だなと思っていたことも楽しめるわけです。

その事業である程度成功している方が言ってました。何か選択に困ったら自分は違和感を感じることを選択しようと思い、そちらを選び続けてきた、と。その結果がこれです。もし、僕が違和感を感じないことを選び続けていたら、あのままだったと思う。ということをお話されていたのです。正直、一年前までは鳴かず飛ばずだった人間が年収億以上を稼ぐようになるには今までと同じやり方ではできないということですもんね。
(ネットワークではありません。正直言ってネットワークビジネスはこんな稼げません)

見たこともないない未来を作るなら

よくスピリチャル的な考え方に好きか嫌いか、楽しいか楽しくないか、で選べ…ということを言われます。

自分の経験からいうとそれも間違っているわけではなくて、ベースにはそれが基本あると思うのですよ。でも、こういうのもフェーズというか段階があるように思います。

こうしないと何か言われる、これが普通、とか恐れから何かを選び、行動している人にとっては「好きか嫌いか」「楽しいか楽しくないか」で選択をまずしてみる、つまり愛からの選択をする、というフェーズがあります。しかし、しばらくここをやってきて自分の快、不快がわかったなら、今度は敢えて快の外側に出るということをしていく必要がある。

まあ、これが抽象度を高めるということですよね。
今まで良しとしてこなかったものの中にも可能性があり、使えるものがあるのだ、ということが理解できるとやれることも、世界も広がるわけですから。

まあ、あくまでそういう未来を作りたいなら、ということ。
そこには明確なゴールが必要でそれを実現するという意思があること。だから、違和感があっても嫌でも、それは今までの自分のやり方という抽象度の低い観点からみた評価。でも、決めたゴールに向かって何かをやってみてる、ということのためにはその行動は割と楽しいかも、に変わるのですよ。

ずっと心地良さにとどまって、それにしがみつかないで今体験している心地悪いこともまるっと受け入れて、まずはやってみましょう。

そして、どうせやるなら楽しくできる工夫をしましょう。

そんなことが1つのきっかけになって新しい世界が開ける可能性が十分にあります。だから、今までのように行かないこともあまり不安に思わない。
新しい経験が積めることを楽しんでください。

そんなことが新しい時代を生きていく心持ちなのかも、と思います。

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