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父についての回想


先月末に逝った父。年末に倒れて、余命宣告をされてからの覚悟の決め方はあっぱれでした。それに関しては最後の病院で主治医の先生から今後のことについての説明があった時にも話されていました。
父は頭はしっかりしていて、とにかく父の病歴を拝見するだけで頭が下がる思いです、と主治医の先生がおっしゃるように20年間、ガンと生きてきました。度重なる手術、お腹がユニオンジャックになったかのような傷跡(よく、自分でユニオンジャックと申しておりました)、何度も何度もガンだという宣告を受けても諦めない不屈の精神。

普通、1回のガン告知で凹んで、自分はもうダメなのかも…と思うわけですよね。それを8回ですよ。いえ、多分8回どころではないですね。でも、ガンになった自分を呪ったり、自己憐憫している暇があったらより良く生きるために今何ができるのか、を見ている人でした。

諦めない、ということはすごいことだと本当に改めて思ったのです。
そして、同時に潔く諦める、こと。余命を宣告されてからの父はまったく揺るがなかったです。主治医の先生も緩和ケアの病院ですからいろんな方の最後を看取られるわけですが、父のように揺るがない人間もそうそうはいないのだそうです。無駄に生に執着せずに、延命措置も一切やってくれるなということでした。その判断の基準は父なりの美学、だったと思います。その姿が格好いいかどうか、これにつきたのだと感じました。

その主治医の先生が(死ぬまでに)こういう経緯を辿るであろう、という話は数時間前に父が自分はこうなるだろう、と言っていたそのままでした。父なりに相当に調べて覚悟を決めていたのですね。そして、先生によるとこの疾患は最後は相当に痛み、苦しむのでそれだけが気掛かりですとおっしゃっていたのです。その瞬間にそんな父を想像することすらできない自分がいました。心のどこかでわかっていたのかもしれません。父はそんな姿を見せることはない…ということを。

最後の選択


(亡くなる3日前に父と最後に飲んだワイン)

余命をどう生きるのか、それは人によって全く違いますよね。家には足が悪く介護が必要な母がおりますので、父としてはそこで最後を迎えるより…と兼ねてから、最後はここと決めていた都内のある病院へと転院したのです。

そこは病院というよりもまるでホテル。お食事も美味しく、何を食べても、何を飲んでもいいですよーということで父の部屋にはワインセラーもありました(笑)わたくし、お見舞いにいって3回ほどワインをご馳走になりました。

なんせワイン好きの父はその8回の手術のあとも「赤ワインは体にいいんだ」と嘯きながら、退院1ヶ月後には赤ワインを飲んでおりましたから(笑)

父もがんセンターから転院してきたその日、前々から「ヅケ丼が食べたい」と言っていたのですが、それを叶えてくださって、それはそれは美味しかったそうです。父は前の日とは別人のように元気な足取りになっており、点滴などの管に繋がれていると人は病人になっていくのだな…と感じました。美味しいものを頂くことは本当にエネルギーのもとですね!まあ、わたくしの父なので相当に味にはうるさかった…ということです。

この病院はO理事先生が海外のそうした施設をご覧になってご自分のお母様のために、日本にも手厚く最後を看取ってもらえるような場所を…とお作りになられたところ。本当に気持ちのいい場所でございました。明るくて、病院特有のあの雰囲気が全くないのです。余談ですが、父が亡くなり霊安室に移ったときに一晩そこで過ごしたのですが、全く怖さは微塵もありませんでした。綺麗に祓われている感じを受けましたね。

どう扱われるのか…。これは本当に大切なことだと感じました。ある程度の蓄えがあるということは自分の最後の選択の幅も広がるということであると考えさせられました。お金がかかる…といえばかかりますが、わたくしたち誰も遺産や残してもらうことには全く興味なく、むしろ今父が快適に暮らしていくために全部を使ってもらっていい…という気持ちでしたから。

こうしたところで最後を迎えるというのも選択の1つであり、そうした選択が可能である自分でありたいな…とも思ったのでありました。

最後に向かってどう生きるのか

父に限らず、誰でもが本当はこれなんですよね。でも、余命宣告でもない限り、最後があるのだということを普段はどこかで抜けているのですよね。

わたくしはこのブログのタイトル、そして理念として持っていることは「生ききることは、咲ききること」という思いでございます。父と最後の数日を一緒に過ごし、わたくしがそれまで知っていた父の顔と違うものを沢山みることができ、まさに生ききった清々しさのようなものを感じることができました。

その中で「幸せ」とはなんなのか…ということについて深く考えることになりました。常識とかこうでなければ…という形に囚われていたら決して味わうことのないもの。周りがどう思おうとも自分の魂が欲することをする勇気と覚悟。結局はそこに尽きるのだ、とわたくしは思ったのです。
今はまだ、このことについては詳しくかけるような状況ではございませんので、いつの日かわたくしの中で咀嚼でき、言葉にすることができましたなら、書いてみたいと思います。


(父にとお贈りくださったお花)

父の遺品の中に最後まで持っていたメモ帳がございました。その中に書かれていた言葉…

「人生の目的は品格(品性)の完成だ」

と書かれておりました。

自分は残された余命を品格の完成にベストを尽くす、と。

激しく同意いたします。

父はそういう意味では企業戦士として戦い抜いてきた人で、わたくしの年には大手企業の役員をしておりました。応援指導部主将であったこともあり、声も大きく、物事の白黒はっきりつけ、やや横柄な、横暴ともとれるような振る舞いをすることもあったと思います。
よく家では「(会社の)周りにいる人たちが大変でしょうね」と言われておりましたから。

それが病気を通じて、また晩年の様々な人間関係の中で削がれていって、こうした目的を掲げるようになったのだ、ということも驚きとともに素晴らしい、と感じたのです。あの父がそんなことを思っていたなんて…と感動にも似た想いを持ち、このメモ帳を大事に持っております。

わたくしもこうしたものを身につけ、磨き上げ、熟成させていくことに今後の時間を使わないとならない、と思ったのでございます。そしてこの想いがきっとこれからサロンなどでやっていくことに大きく影響していくのだろうな、と感じております。

時間が経つと、またもっと違う感覚や感情、解釈が出てくるのだと思います。わたくし自身の備忘録としてこれを記します。父が逝って、すぐの今のわたくしの気持ち。何をどう感じているのか…。きっと様々なことが変わってくるのだと思うのですが、今わたくしが感じていることをそのまま書いておきたいと思っております。

何話かこの父との時間の回想を書かせて頂きますが、どうぞお付き合いくださいませ。

内なる声に従って…

父についての回想2

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