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日光直感ツアー

以前、ミステリーツアーという
直感型体験ツアーを開催していたことがある。

集合場所と泊まる場所と
解散時間しか決めてない旅。

それでも
自分のコンフォートゾーンを
飛び出すのにいい感じ。

そして
枠にはめないから面白いことが
起こる起こる…!

 

行く場所は直感に沿って
私が決めていく。
だから、運転手はメンバーの中で
お願いしていたのです。

ひどい時なんて和歌山ツアーだったのに
和歌山は泊まっただけで
ほぼ、奈良と京都だったこともあった。

まあ、久しぶりのツアー。

今回は日帰りの日光。

もうね、間際に告知してピンときた人にだけ
くればいいかと思い、LINEで告知。

思いの外、応募があって
びっくりでしたが、くじで決めました。

そして、そのツアーも乗る電車と
降りる駅だけ指定。

そんなものにワクワクできる人たちが
多分、これから生き残る人たちなんだな。

もうね、ここでも既にドラマだったの。

ある参加者が乗換案内と違っていて
北千住での乗り換えが1分しか
ないって言ってきたの。

あーー、無理だな、って普通物理的には
絶対に無理。

でも、一応、ヒーリングは送った。

でも、乗り換えに最低3分はかかる。

ところが…

きたんだよ、その人…

大ダッシュで乗り換えに来たら
もう、乗るはずの特急のドアは閉まっていた
というのだよ。

なのに、頼んで開けてもらったって。

 

 

ありえないでしょ?

まじ、びっくりしたわ。


日光について、
東照宮はあまり興味がなくて
中尊寺湖に行こうと言っていて。

バスが混んでいたので、
4人だからタクシーに乗ったのです。

「華厳の滝お願いします」

 

えーーーっと、華厳の滝までは
タクシーで値上がりしたので
8000円弱らしい。

中尊寺温泉まではバスで1150円

でもいいや、と乗ったらね

タクシーの運転手さんがなんかの
チケットを買うと
1人3000円、4人で12000円/4時間
の観光ができるというの。

じゃあ、しますということで、
華厳の滝へGO!

 

道々、運転手さんがいうには

タクシー乗る人の95%が東照宮なんですって。

華厳の滝っていうのは
年間でも3%もいないらしいよ!!

 

今日はついていたね、運転手さん!

 

まー、そんなことで張り切ってもらった。

昼ごはんは決まっているのか、
というので、
中禅寺湖で有名なトンカツ屋さんに
本当は行きたかったんだ。

もう、私の美味しいものアンテナが
立ちまくりだったから。

でもね、オープン時間が遅くてね。
色々と間に合わないから
違うところにしないと…となったら。

運転手さん。
こことばかりに営業!

「中禅寺湖はマスが有名だから
お弁当を買って、遊覧船に乗るのが
おすすめなんだよね」

 

絶対に嫌です!

 

いや、でも、
これからまずは寺に、詣って
その後にお弁当で遊覧船…

絶対に嫌です!

私はお腹がすいでいるのです。

いや、お寺詣ってからでも大丈夫でしょ?

絶対に無理です。
いますぐ、食べさせてくれないと
暴れます。

という
タクシーの運転手さんとの攻防を経て

お昼は中禅寺湖湖畔の有名な
フレンチ(→チェック済)
に連れて行ってもらうことになったの。

美味しい虹鱒のムニエルを
頂いて、ゆっくりして
タクシーが迎えに来てくれて…

中禅寺は不思議なお寺なんですよ。

まあ、そんなことは追々。

御祈祷専門の場所。

不思議だね。

ここは問われるね。
自分はどうすんの?って。

その人を守って
死にいくのか、生きるのか

それでさえも
その人を生かすために自分が
死ぬことが喜びだったから
それをしたんだよね。

これを頭で考えて
こうした方がいいとか、
こうすべきとかでやると
違うものになるんだろうな…

命をかけるのも
それが自分の喜びになるかどうか、
それを意識しないとならない。

自分の喜びになる死は
相手や残された人の糧になるけれど

自分が犠牲になることで
みんなを助けるーとか思うとさ、
それは呪いでしかないんだよね

そういうことが往々にして
起こっているのだろう。

私の先生の1人、藤原理恵さんが
こんなことをシェアしていた。

“家族のため” や “誰かのため” という ”利他” の行為は
誰もが経験してることだと思うんだけど、利他には
大前提として2種類あるのかな、って思う。

1つは、”利他” の “他” に自分が含まれていなくて
自分以外の他者のための “利” 。

もう1つは、”利他” の “他” に自分も含まれてる。
つまり、利他=自利でもあって、利他と自利に
分離、乖離がないんだよね。



どっちが良い悪い、って話じゃないんだけど、

前者のように、利他と自利を切り分けて、
「他者のために」という直線的に矢印が他者に
向かっている利他の場合、それは100億パーセント、
利得のためだ。

「これだけやったんだから」
「どれだけあなたのために頑張ってると思ってるの!」
「あなたのためを思ってやってるのに!」

っていうのも、利他と自利を切り分けた利他の結果
なんだよね。

自分の時間、お金、行為をギブすることで、
何かを得ようと追いかけてるの。

“何か” とは “愛情” だったり “感謝” 。

ギブしないと得られない、と信じていて、
“利” を追いかけて、結果、得られないw



後者の “利他” は、前者の直線的な利他とは違って、
球体的、円的な利他。

他者と自分は同一だから、自分のためにすることは
他者のためになり、他者のためにすることは、結果
自分のためにもなる。

球体的利他の人は、もはや、”○○のため” とかって
わざわざ言葉にもしてないなw



あぁ、、、自分は圧倒的に、直線的利他だな〜って
思った人は、”家族のために” とか “誰かのために” の
主語を、”自分” にすれば良いと思う。

例えば、
「わたしは家族のために自分を犠牲にして頑張ってます!」

って人だったら、
「わたしは頑張る自分が好きで頑張ってます!」
で良いんじゃない?w

実際そうだしw

とか、例えば、
「お母さんは、あなたのためを一生懸命思ってるの!」

って人だったら、
「お母さんは、あなたを一生懸命に思える自分が
健気で好きなの!」

なんだよね。

そうすると、愛情や感謝を得るための “利他” は
圧倒的に少なくなって、逆に、自利でやってることで、
感謝されたりするようになるんだよね。



愛情とか感謝は、追いかけなくなると、
向こうから追いかけてくる😆

 

ねえ、すごく響かない?

 

そして、本当にそうなんだと思うんだ。

話はそれたけど
日光ツアーはこの間にブループリントの
セッションを体験してもらい
たくさんのお土産付きの
ちょっとした遠足でした。

楽しんで頂けてよかったです。

 

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