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三姉妹

私は三人姉妹の長女である。
よく男兄弟に見られるのだが
実は女ばっかりなのだ。

 

その3人で今日は真ん中の妹の家で
合宿だったのだ。

上の妹、あさ子
下の妹、はる子

私、ゆう子
下の妹の名前決める時に「ひる子?」と
つけるか?言われたこともあった…

 

共通点はing(わかる?)

歳を取ると距離が変わる

若い頃はそんなに妹たちと仲が
良い訳ではなくて、
「映画に行かない?」とあさ子に聞くと
「嫌です」と言われるような
そんな感じ。

 

かろうじて、はる子は
なんとなく趣味が似ていて
話はしたけれども
それでもあまり行動を一緒にしたことは
ほとんどなかったのよ。

 

3学年ずつ離れていて
大学1年、高校1年、中学1年って
頃があったね。

私、昔は老けていたので
出かける時にはる子の友達と
玄関でばったり会ってね、
(当時妹は中1ね)
「今のお母さん?」と言ってるのが
聞こえて
「何って言った?」とドア開けて
聞き返したことがあったわ。

 

まあ、今回は節目の年を迎えた
私に対して、妹たちが
「お祝い何が欲しい?」と
言うものだから、

「モノは要りません。
だったら旅行とか一緒に行こうよ」
って言ったのですよ。

 

温泉に行きたかったけれど
あさ子が難病でちょっと身体が
不自由な所があるから、
出かけるのが億劫で…

そんなことであさ子のところに
集合することとなった。

(あさ子の部屋からの景色)

これくらいの年になると
昔のような感じではなく
距離感もいい感じになって
くるものなのですね。

 

話をしていても
そんなに疲れなくなった。

 

が、
妹たちにしてみれば
「ゆう子さん、普通の人間になってきたね」

ベランダに鉢を置いて
癒し空間にして、
猫と過ごす時間が幸せ、なんて言ったら
そんな風に返されるのでした。

どんだけ変な人だと思っていたんだ?
(いや、人だと思ってなかったな)

宮田家のオンナたち

私たちには共通した持病があって…

原因不明なのだが
食事をした後で
急にお腹に差し込みが
きて激痛が起こり、
脳貧血を起こして
気絶するという症状。

父を筆頭に私、妹たちが
この症状があり、
あさ子が1番酷いかな、
通勤路線の全ての駅の
トイレの位置を把握していると
言ってたことがあったな。

 

私は数年に1回くらいの発作で
外で気絶したのは3回くらい。

幸い、学校だとか会社だとか
だったので、
保健室とかに運ばれて
事なきを得たものでした。

 

妹たちはよく、駅の医務室で
寝ていたと思う。

 

しかし、もしかして…
「小麦アレルギー」かも
と最近小麦アレルギーが見つかった
はる子が言っていた。真相は謎…

 

そして、私たち
割と空気読めない系

 

その上ふしぎちゃん系

私たち、割と不思議なところで
バッタリ会うことがあって

 

昔、当時の彼とボサノバフェスに
行こうと車で京王のよみうりランド駅を
通りかかったら、はる子がフラフラしている
のを見つけたのだ。

何しているの?と聞けば
友達と待ち合わせしたのだけれど、
違う駅だった、と泣きそう。

仕方がないな、と車だったので
小田急の読売ランド前まで送ったのよ。

 

そうかと思えば
はる子がイギリスに留学している時、
両親とあさ子がパリに行って
そこにはる子が合流することに
なっていて。

はる子が空港から乗ったリムジンが大渋滞で
進まず、途中で降りてメトロに
乗り換えたら、その電車が
途中で止まってしまったらしく。

 

乗り換えろ、というアナウンスで
乗り換えようと移動していたら
呆然と立っている3人の日本人。

 

見れば自分の家族だったという…
そんな偶然が宮田家では
日常茶飯事だった。

元気でいてね

そんな昔あったシンクロ高めの
出来事を出し合ったりして大笑い

ご飯は私が全部作って
「ゆう子さんのお祝いなのにすまんね」
と言われながら…

(リクエストはサラダ)

最近はる子が遺言状を作った話を
聞いて、そういうことも考えて
行かないとだな、と思ったり…

 

私たち3人ともに子供がおらず、
両親の家の墓仕舞いをしないと
ならないのでした。

 

そういうことも
ちゃんと意思表示しておかないと
残された人たちが苦労するものね。

…なんて話を
ノンアルコールでしながら
今度は温泉に行こうと約束。

 

あと10年くらいはこんな話も
できるかしらね。

 

あさ子は毎日、LINEで生存確認のため、
今日のニャンズ、の写真を送って
いるのですが…

彼女は母方の血筋の難病を発病し、
歩行が困難でちょっと呂律も
はっきりしなくなってきている。

 

もちろん、私もはる子もいつ発症するか
わからないんだけれども…

 

それでも、死ぬ時は死ぬし、
何があっても生きる時は生きる。

 

でも、その時まで悔いのないように
生きたいと思っている。

 

多分、普通の人よりも
今、できる時にできることを
しておかないと
いつできなくなるか、わからないし…
という気持ちは何処かで
感じているのかもしれません。

 

このお正月にあったことを思うと
更にそんな思いが強くなります。

 

まあ、あと何年こうできるか
わからないですが、
こんな合宿も年中行事も
いいんじゃないかと思った夜でした。

 

 

 

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