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全ては導かれている

ちょうど1週間前、宇都宮の二台目のお話会「叱咤龍励、鼓舞龍励」に参加させて頂き、自分が本当にやっていたことを思い出すというか、確認するという流れになったのでしたが…。
それに続き、一昨日の土曜日に東京にてまた二代目の「叱咤龍励、鼓舞龍励」が東京は浜町で開催されたので参加してまいりました。この二代目のお話会、一応テーマはあるのですがその時に降りてきた話をされるものですから、宇都宮ではテーマについてのお話しは残り5分で話された…なんてこともあるのですが。

 

全く、ソルライツと関係ない一般的な話の切り口なので、是非お時間があったら一度参加されたらいいと思うのですよ。…と言うのは、今回も私にとっては大きな気づきというか確認とうか、覚悟というか、この先が決まった時間となったのでした。

 

それのおかげで

今回のお話会の中でこんな話題が出ました。
「過去に起きたことで、なんで私がこんなことに…と思っていることがある人。でも、それがあったお陰で何かに気づくことができたり、何かを得ることができたりしていませんか?いや、多分そうなのです」と言うことで数人のグループに分かれて、自分の過去でそう言うことがあったことがないか、ちょっと話してみようという時間がありました。

実は私、昨年末に村松大輔さんの「量子力学的アプローチ」から周波数を変えていく2DAYセミナーに参加し、今年に入ってから7weeksというプログラムに参加していたのです。ここでまさにそれを7週間毎日やっていたのでした。

「今日感謝できることを3つ」「自分を褒めることを3つ」毎日描き続けていたのに加え、4週目からは過去似合った「あんなこと」「失敗と思われること」などネガティブな思いを持っている出来事を「それがあったお陰で」に換えるワーク。

 

私は自分もそうした出来事に対して与えている解釈を換えることで、自分の気持ちを変え、周波数を変え、見える世界を変えていくことをお伝えしてきています。だから、この「〇〇のせいをお陰に」換えると言うことを日常的にするようにはなっていました。

 

けれども、このワークに取り組む中で「自分が(明らかに)逃げた」と思える出来事に対して、私は私を赦してはおらず、〇〇ができなかった、私が〇〇できなかったから…と自分を責めていたことに気づきました。人にやられたことや環境のことなどは比較的、お陰に換えることは容易でした。以前、危うく人を殺めるのではないかと言う状態に追いやられた時のことでさえも、あのお陰で奇跡のような体験をすることができたと心から思えていますし、今の自分はなかったと思っています。

冬彦さんのママばりの1回目の結婚の義母の存在も周りが心配するほどには実は削られてなく、あれがあったお陰で2度目の結婚の時は本当に主人の母を仲良くすることができました。そのことに心から感謝することもできたのです。

 

でも、自分ができなかったこと、やり遂げられなかったこと、逃げたこと、向き合わなかったことに対しては心の底で自分のことを赦していなかった、と言うことに気がつきました。そこにあった感情は「恥」でした。
そんな自分が「恥ずかしい」と言う強烈な感情。

 

それがその7週間の中で行き着いた先はその出来事がなかったら「このソルライツと出会ってなかった」のではないかということ。あの時、もしあのままそれを続けることができて、その時、三次元的な見方では「成功」というものを得ていたとして、その私は今これをやっているだろうか?と考えると「否」と言うのです。まあ、出会ったとしてもこんなに早くではなかったのでしょう。

 

…そう、全てに意味はあるのです。

すべては導かれている

ちょうど、土曜日にこの二台目のお話しをお聞きする前に私はある本を読んでおりました。田坂広志先生の「すべては導かれえている」という本でした。

そこにあるのは「この世界で起こることは『すべて何かの存在に導かれている』ことで、私たちが幸せになるための成長に繋がっていること」と捉える覚悟を持つことである、と書かれています。

これは私が口癖のように言う「すべうま(全てはうまくいっている)」と同じ考え方です。

ですが、本の中ではさらに一歩進めて、「これが成長させてくれている出来事だとしたら」と主体的に捉えて、成長の糧にせよ、と言っているのです。ただ、思考を切り替えるだけではなく、成長せよ、と。

 

そして、そのベースにあるのは「今日が最後の日となるのかもしれなくても、今日と言う日を輝かせて生きること」それに尽きると言うこと。この世界には過去も未来もなく、永遠に続く今日と言う日の連続。先週の有限の身体という器に宿る無限の魂のお話に通じるのですが、それが今日という日に与えられた出来事を通じて成長していこうと思うことであり、今を生きることで体現できることなのだという理解。

 

本の引用をさせて頂きます。

我々の人生において
不運も不幸も無い。
罪も罰も無い。
一つとして悪きことは無い。

すべては導かれている。

 

頭で知っている、ということとわかることは違います。
そして、頭でわかっていることと、魂が識っていることも違います。

これを読んでいた私が昨日、アプレンティスプラスⅠという講座の再受講の中で出力アップというかエネルギーソースと更なる繋がりを強くしてもらう機会がありました。その時に二代目が仰ったことがありました。
ごめんなさい、正確にはなんと言われたのか、実は意識的には覚えてなくて。この三次元的にやり遂げたいゴールではなくて、魂的にコミットしたいこと、本当の純粋や欲望を宣言せよ、というようなことだったと思います。頭でわからなくていいから、と仰っていたような。

私はその時、この「すべては導かれている」を受け入れて生きます、と宣言したのでした。

 

だからでしょうか。私が今日、この記事を書くにあたって過去の出来事、自分が自分を赦してこなかった数々のことを思い出しても、以前と同じような感覚に全くならないのです!全てに対して、これから先に起こることに必ず繋がっている全てがわかるから。

今、何か辛い状況にある方。経済的なこと、人間関係、ご病気など。どうしていいか見えない未来に思い悩まれているのだとしたら、このことに思いを馳せて欲しいのです。この本の中にも3つの確かな真実として書かれていること。それは…

・人は必ず、死ぬ

・人生は、一度しかない

・人は、いつ死ぬか、わからない

この3つのことだけは確定している真実。
田坂先生も最初にご自分の不治の病に恐れ慄いて、ある禅寺を訪ねます。そこで出会ったある禅師に言われるのです。「人間、死ぬまで、命がある」
そう、死ぬ瞬間までは生きている。それをこうなったら、ああなったら、となってもいないことに心囚われ、心が先に死んでいる状態。いつか死ぬ、そして人生は一度しかない。なのに、私は今日という日をおろそかにしてないか。いい加減にしてないか。明日も今日の続きがあると思って生きてはいないか。
今日が最後の日だとして、後悔しない生き方をしているのか。

この問いに対して、わたくし自身が「すべては導かれている」という覚悟を受け入れて、今日起こることから最大限の学びを深め、できることを主体的にやってこの命を役立てる生き方をしようとまさに心の奥から湧き上がるような思いで、今これを書かせて頂いています。

今年の最初からの流れを感じる中で「うまくいっている」と思いながらも、好転していかない事象を前に何故なのか?と自問し、わたしの何がいけないのか?と自分にダメ出しを始め、足掻くことすらもできない状態になった時にまさに光のように流れ込んできた思い。タイミングよく、受け取った二台目からの言葉。そしてこうして手に取ることになる本。そこにあるシンクロニシティ。

 

このことがすべて、導かれていることそのものであること。

 

そして、この先のプロジェクトを考えていくにあたり、わたしはこの期間が必要だったことがはっきりと理解できたのでした。起こることはすべて導かれている。わたしはこの一連の出来事において、このことを身を以て体験している今なのでした。

ステラの原点

ミステリーツアー満員御礼

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