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3年縁切り呪縛から解かれる

自分でこれはいつものパターンだな、
というものってありますか?

例えば、
いつも決まって付き合う人は
妻子もちだとか
ダメンズだとか
最初はいいけれど途中から…とか

何かしらの人間関係のパターンって
ありませんか?

私にもあります、毎回同じパターン

それが3年縁切りパターン(笑)

 

いや、正確には3年前後というのか、
不思議なことに
それまでほぼ毎日のように
ある期間とっても密に付き合って
仕事をしていたり
関わっていた人が

それくらいになると
必ず、なんとなく相手が離れていく
というパターン
(あ、あれか…と思う方もいらっしゃるよね)

 

いや不思議…
またか、と思うのですがね

特に喧嘩したわけでも
何かしたわけでも
ないのですが、
まあ、こちらはしたつもりが
なくても相手にとっては
鼻持ちならない!ってことが
あったのかもしれません。

 

私の長年の友人いわく、
私が飽きっぽいから
もう飽きた、というときに
何かをやらかして、
離れていくように仕向けているんだよ!
と言われるのですが…

気にしないようにはしてますが
人間の私はやっぱり心の何処かで
寂しさを感じています。

仕方ないな…と思ってはいても。

だからって
纏わりつくのは違いますし、
自分らしくいれないのはもっと
違いますし

ある方のセッションを受けて
ふと、そのことを話してみようと
思いましてね

話してみたわけですよ…

自分の飽き性に対して
続けられないことに対しての
罪悪感というか

自分責めの得意な私は
「自分が何かダメだったから
離れていくんだな」という
慣れ親しんだ思考を採用しているのでは
ないかと言われ…

いやいや、
確かに好き嫌いは置いておいて
その思考は慣れ親しんでいるから
採用しているなぁ。

そして言われたこと…

最初から
こうなることは決まっていたんだと
思うんですよ。

自分が決めた、と思っているが
宇宙レベルで既に起こることは
決まっているんじゃないの?と
思うことがあって…

わたしがこうしたい、
こうだと思った「意思」は
どっからくるの?

って考えると
その意思さえも決まっていて
それを受け取っているだけではないか
と思っている。

そうすると
そんなもんか…とそういうことに対し
耐性ができるというか

そういうことに対して
意味付けをすることをやめている…

 

というお話を聞いて…

 

 

そりゃそうだな…と
なんだろう、心の底から腑に落ちて

ただ、その出来事があった
というだけなんだわ…ととても
客観的というのか
そういうことなんだ、という
ある種達観のような気分になったのでした。

その瞬間、
少しは思っていた
「私がいけなかったのか…」という
思いも引きずっていたことが
ふんわりと解かれて
自由になった気持ちになったのです。

 

こんな風に
人間関係にほんの少しでも執着や
所有のような感覚があると
本当に自由にはなれませんよね。

 

そうしたことから解かれ
継続的な永遠性というのはなく、
今というこの瞬間だけだ、と
思うことで

この瞬間を大切にできるのでしょう。

 

コミュニティーも所有はできない
所有できるのは自分の命だけ

自分の命をどう所有するか

この言葉がとても響いて。

なんだろう。

とっても自由になった気持ち

 

感情は置いておいて
それはすでにそうなると
宇宙の手によって書かれていたこと

そこに囚われず
自分の魂が喜ぶ生き方を
選択し、
自分をもっと自由に解き放とう

そうしたら
もっと楽だろうね

そして
自分にも、人にもそれを赦そう

そんな風に思ったのでした

大いなる循環の中で

ブログ再開のきっかけは…

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