前回、3年ほど前のお客様の声をご紹介させていただきました。
エネルギーを学び始めてから5年。
あの頃と今、私は何が変わったのだろう。
今日はそんなことを書いてみたいと思います。

正直なところ、このエネルギーはあらゆるものに使えると思っている。
想像力が創造力となり、現実を立ち上げる。
私は学び始めた頃から、時間操作や遺伝子操作、マクロやミクロの視点でエネルギーを扱うことについて、特に説明や納得を必要としていなかった。
だから、学びが進み、そうしたことにもエネルギーが使えると開示されても、
「……だよね」
という感じで。
新しいことを知ったという感覚は、あまりなかった。
では、この5年間で何が変わったのか。
それまで「たぶん、こういうことだろう」と思ってやっていたことが、
「これでできる」
という確信に変わった。
……いや、違うな。
確信、というのともちょっと違う。
例えば、
「神様がいることを信じる」
のではなく、
「神様がいることを知っている」
という感覚。
ただし、これは知識として知っている、という意味ではない。
私たちは空気があることを知っている。
でも、いちいち「空気は存在する」と確信しながら呼吸している人なんていないでしょう?
空気があるのが当たり前の世界で、当たり前に呼吸して生きている。
それと同じ。
私にとって、このエネルギーを使うことは、そういう世界に生きているということなのだ。
だから、わざわざ信じる必要も、確信する必要もない。
ただ、そこにある。
そして、この5年間で具体的な使い方が次々と開示され、
「じゃあ、こんなことにも使えるのでは?」
「あんなこともできるのでは?」
と、そのバリエーションがどんどん広がっていった。
もちろん、エネルギーの出力自体も、私の体感では桁違いに高くなっている。
先日のCAMPでバージョンアップしていただいたこともあり、以前なら対処できないと思っていた案件にも、向き合えるようになった。
でも、根底にある感覚は、実はそれほど変わっていないのかもしれない。
さて、話は変わるが。
私は知る人ぞ知るアニオタだ(笑)。
アニメの世界には、このエネルギーを使うヒントが実にたくさんある。
私のお勧めは『転生したらスライムだった件』、通称「転スラ」と、『葬送のフリーレン』。
特に『葬送のフリーレン』は面白い。
この作品の中に、こんな言葉が出てくる。
「完璧にイメージできないものは魔法では実現できない」
そして、この言葉の本質を見事に表している場面がある。
ある魔法使いの試験での出来事。
一級魔法使いブルグは、あらゆる攻撃魔法を防ぐ「不動の外套」という、強力な防御魔法をまとっていた。
誰もその防御を突破できない。
ところが、三級魔法使いになったばかりの無名の少女、ユーベルが、いとも簡単にその外套ごとブルグを斬り殺してしまうのだ。
なぜ、そんなことができたのか?
普通の魔法使いは、その外套にどれほど強力な防御魔法がかけられているかを理解している。
だから「切れない」と思う。
ところがユーベルは違った。
彼女にとって、布は切れるものだった。
どれほど強力な防御魔法がかけられていようと、
「布は切れる」
という、自分の感覚のほうが強かった。
つまり、知識や常識よりも、自分の感覚が上回ったのだ。
私は、ここにエネルギーを使う大きなヒントがあると思っている。
「切れると信じる」のではない。
「切れるのが当たり前」の世界に生きている。

先ほど私が書いた、空気があるのが当たり前の世界に生きている、という話と同じだ。
信じようとする必要がない。
できるだろうか、と躊躇する必要もない。
だから、力みもない。
ただ、自分にとって当たり前のことをするだけ。
これって、ものすごく大きな違いだと思う。
私たちは、知識や経験を積み重ねることで、できることを増やしていく。
でも、その知識や経験が、逆に自分の可能性を制限してしまうこともある。
「普通は無理でしょう」
「そんなこと、できるわけがない」
「今まで誰もできなかった」
そうやって、知らず知らずのうちに、自分の世界に境界線を引いてしまう。
そして、その境界線を自分で守っている。
本当は、もっと自由に発想してもいいのに。
もちろん、アニメの魔法と現実のエネルギーは同じものではない。
でも、この物語が教えてくれる「自分の感覚と、思考がつくる限界」というテーマは、私にとってとても示唆的なのだ。
では、その境界線を越えるには、どうしたらいいのだろう。
私は最近、こんなことを思う。
それは、自分自身をどれだけ認め、赦せるか、ということなのではないか。
自分の感覚を疑わない。
自分の可能性を最初から否定しない。
自分の中に湧いてきたものを、常識という物差しだけで切り捨てない。
そして、無理に何かを信じようとすることさえ、やめてみる。
考えてみれば、私がこのエネルギーを学び始めたときから持っていたのは、そういう感覚だったのかもしれない。
「そんなこともできるんだ!」
ではなく、
「うん、できるよね」
という感覚。
だから、次々と新しい使い方を知ることが、ただただ面白かった。
そして今、改めて思う。
エネルギーを使うということは、単に何かを改善したり、現象を変えたりすることだけではないのかもしれない。
自分がどんな世界を当然だと思って生きているのか。
自分に、どこまでの可能性を許しているのか。
そこに向き合うことでもあるのではないか。
だとしたら、私がこの5年間で得てきたものは、エネルギーを扱う技術だけではない。
自分の感覚を、より自由に使うこと。
そして、自分が生きる世界の可能性を、閉じないこと。
結局のところ、
自分自身をどれだけ認め、どれだけ赦し、どれだけ自由にしてあげられるか。
そこに行き着くのかもしれない。
私はこれからも、自分の感覚を使って、この世界で何ができるのか、面白がりながら探求していきたい。
だって、まだまだ知らない世界があるはずだから。
そして、そこにはきっと、私が想像している以上の面白いことが待っている。
そう思うと、ワクワクするのだ。
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自分の可能性を、もっと自由に。
長野県茅野市を拠点に、意識とエネルギーの可能性を探求しています。
林ステラゆう子
意識のデザイナー/周波数調律師
活動やセッションについてはこちらから。
🌿 公式サイト
https://stella666.hp.peraichi.com/hokulea/







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