わたくしは講座やコンサルをしておりますが、ある時期から自分の仕事のやり方ががらっと変わってまいりました。ちょうど3.11の後からだと思います。
それまでは講座をやるからにはこうなって欲しい、これを持って帰って欲しい、これを理解して欲しい、と思っておりました。そしてこれだけの金額を払って頂くのだから、「ちゃんと」やらなくては…と思っていたのです。
ですが、これを手放してからのほうが仕事は明らかにうまくいくようになりました。
「ちゃんと、決める」をやめる
その頃、わかったことがあったのです。
こちらがこの講座に出てこうなって欲しい、と思うことというのはそれ自体が枠であり、制限してしまうものなのだということに気づいたのです。
つまり、こうなって欲しい、を超えてもっと持って帰ってもらってもよくて、そこじゃないところに気づいてもらってもよくて、気づきのタイミングがあるから、今でなくてもよくて…。わたくしが気づかせた、とかわたくしのおかげで…というような執着を手放せば、そこは今でなくても良いわけです。これに気づいてからは無駄にそう思うことをやめたのです。
期待するのをやめるというのか。ちょっとニュアンスは違いますかしら。どうせならないのでしょ、という期待するのをやめるのではなくて、こうなって欲しいーと思いすぎないというんでしょうかね。
そうすると、不思議なことが起こってまいりました。受講生の方々の気づきが深く、また様々な変化が起こりやすくなっていったのです。こちらが「これを持って帰って欲しい!」と思えば思うほどに、その思いと反対のことが起きていたのだ…ということがわかりました。
だからと言っていい加減にやる、というのとは違うのですよね。これが大切という熱い思いはあるのですが、それを押し付けないというのか…。期待しない、が一番近いでしょうか。
それに伴い、「ちゃんと決める」ということをあまりしなくなりました。大枠を作っておいて、あとは起こることに任せてみるというスタイルに切り替えたのです。だからマニュアルを作りこんで、それを読ませるようなことはしなくなりました。もともと、その傾向はあったのですが以前にも増してそうしたフリースタイルになっています。
これも手を抜く、というのとは違うのです。その時起きることを楽しみながら、臨機応変に対応していくようにするのです。そして自分がその時できる最高最善を尽くすのです。ですから、それはある程度力量がなければできないことかもしれません。こうだ、というものをやってきた先にあるものです。
世の中を見ていますと必要以上にこの「ちゃんとやらねば」にとらわれている方が多いと感じます。例えば、講座なども「資料を作るのが当たり前」「マニュアルがあるのが当たり前」「こうするのが普通」とか色々思っていらしゃいます。しかし、業界が違えばその当たり前は当たり前ではなくなります。これは講師側もですが、受ける方もそうですね。マニュアルがないと不安という方、いらっしゃいますがマニュアルの中に表現できないもののほうが多いと思いますよ。
そして、そうしたものを作ることが悪いわけではないのですね。それがどの気持ちから出たものか…です。ちゃんと説明しないと怪しいと思われる、とかこれだけのお金を払ってもらったので、ないと格好がつかないとか、恐れから「ちゃんと」やろうとしている場合、その労力が無駄になります。無駄というか、そこに労力かけたわりには活用されないというか…。
結構作ったことで自己満足している方もいらっしゃいますよね。全然、それ見ませんけども…という感じで。
まあ、でもマニュアル貰って満足するタイプの方ってちゃんと読み返す方、本当すくないと思うのです。だから、それでいいのかもしれませんね。
(読み返したら大事なことはマニュアルには書いてないこと多いのがわかりますよ)
補足していきますと、世の中には型通りにまずやらないとならないものも多いですよ。だから、型をちゃんとやる、ということは必要なことです。それとここで話していることは違うこと。
こうだと決めつけ過ぎない、という感じでしょうか。
例えば、わたくしがこう言っているから、怖いけれど資料やマニュアル創るのをやめてみる…という姿勢は本末転倒。また怖さから選んでいることに気づいてください。そのスタイル、いいかも!やってみよう!と思われるならどうぞ。
起こることを最大限に信頼する
起こることを最大限に信頼すること。わたくしがこの細いアジェンダや内容を決めないスタイルで講座やワークショップをするようになってから、さらに自分の直感を信頼するようになりました。
人は直感がわかるようになると、起こってほしくないことが回避できると考えていますが、そういうことではないと思っています。直感に従ったのに、なぜこんな目に?自分の直感は正しくなかったのだ…と思いがちですね。
でも、違うのです。
直感に従うというのは魂の羅針盤に従うことで、その痛みや出来事に合わないと学べないこと、経験できないことがあるからそれを起こさせているのです。魂にとって大切なことは成長すること。そのためにはあなたが避けて遠ざけてきたものに直面させるという選択を起こさせるかもしれません。
この辺りの話は次回、「直感を信じるために」というお話で書かせていただきます。
ともあれ、起きることはすべて今の自分に必要だから起こっているのだ、というスタンスでいると怖いものがなくなります。一見悪いことのように見えることの中に必ず、素晴らしいこと、それが起こらないとならなかったことが隠されていると信じれば、どんなことも楽しむ面を見つけることができ、恐れや不安から自由になります。
もちろん、心配や不安になることもありますよ。そこから、必ずその裏に隠されたギフトを見つけるーという意識に切り替えれるかどうか。それが成長の1つのステップなのではないでしょうか。
今年の3月の頭にNYへいったときのこと。
ある指令のもとにネイティブインディアンが作った4つ足の青い動物の置物を手に入れないとなりませんでした。NYにはわずか2日半しかいないのです。その中で自由の女神を見に行った帰りに寄ったネイティブアメリカンの博物館。あまりに見所満載で予定よりも時間がかかり、ミュージアムショップまでたどり着きませんでした。しかし、その時に友人のすべうま教祖(笑)の蔦井まゆみさんが「絶対あった!」というのです。翌日も講座が終わってから見に行く予定でしたら、この日も予定外の食事で気がついたらギリギリ。結局入れなかったのです。3度目の正直はその日の午後にパリへのフライトがあり、午前中だけしか時間がありません。あるかどうか確かではないけれど、直感も行けと言っているし、3度目の正直とばかり行きました。
今回はミュージアムショップ直行です。そして、見つけたのです。青いバッファローを。そして3回目に行って時間があったからこそ、わかったことがありました。それはそこの中に展示されているあるものを一緒に行ってくれてた蔦井まゆみさんが見る必要があったのです。そのために3回も!行かさせられていたんだ、と気づきました。
うまくいかないようなことも実は深い意味がそこにはありました。そんな風に起きてくることを信頼していると、ちょっぴりの不安はあれど、何が起こるんだろう?というワクワクのほうに意識を向けることができます。
行き先を決めない旅
それの最たるものがわたくしが開催しております『ミステリーツアー』(現在は美旅という)という集合場所と宿泊場所しか決めないツアーです。行くところはその場で直感で決めます、、といっても一応制限時間ありますから、下調べはしておいてこのあたりのどれか…と思っているのです。でも、いつも急に見つけたところへ寄ったり、誰か人の口を借りて「ここへ行きなさい」という指示が来たりするのです。
それを面白がれること。でも、その選択のおかげで素晴らしい景色を見れたり、必要なことが起こったりするのです。宇宙はわたくしたちの小さな頭でしか思いつかないようなことの遥か上のとっても面白いサプライズを用意して待っていてくれています。
それを手にいれてもいい、と自分に許すこと。
先日、友人と京都へまいりました。大人のゆったり京都旅、のはずでしたのよ。ですから、今回はそんな歩かないだろうとタイトスカートにレースのトップスなんて着て、まあ神社仏閣用にヒールの低めの靴でしたが…。
ある神社でお参りを済ませ、摂社に寄って帰りましょうと歩いていましたら、足の少し不自由な方とすれ違いました。ところがその方がすごいスピードで戻ってらして(え?足不自由でなかった?と思ったほど)通りすがりに言うのです。「(伊勢神宮の)遥拝所はいかないのですか?」と。
ええ、横目で看板見ましたがスルーしようと心に決めておりました。「ええ、そうですね」と中途半端な返事をしてやり過ごしましたら、その方が分かれ道で待ってらして「あそこの階段からいくんですよ」とわざわざ教えてくださいますの。もうね、そこにいたいつものメンバー全員が「ああ、きましたね…」と思いましたね。
ええ、人の口を借りて「ここへいけ」と指示がきたわけです。
ということで、絶賛山登りですよ。ぴったぴたのタイトスカートにレースのトップスでえっちらおっちら…。しかし、ここが翌日行くことにしていた御所と伊勢神宮を結ぶ一直線上の上にあるそうでして。
ああ、必要でここへきましたのね、とわかりました。
多分、このエネルギー通ったことで、この日は後々大きな区切りの日になることでしょう。こんな風に予期せぬことが起こる、それを楽しむのです。
講座でもなんでも、こうすると決めてしまうとそれ以上のものは入ってこない。でも、もっと自由でいいのではないか、と本当に思うのですよ。だって、そうしていったほうが効果も高いですし、面白いことも起きますし、結果、本当に色んなことがうまくまわっているのです。
次回はこの決めないで流れに任せる、ということを可能にする「直感」について書きましょう。(つづく)
「フリーマインドという生き方」
「フリーマインドという生き方2感情を感じてみる」
「フリーマインドという生き方3何を欲しているのか明確にする」
「フリーマインドという生き方4気楽さと覚悟を持つ」
「フリーマインドという生き方5不安をコントロールせよ」
「フリーマインドという生き方6一番大切なことは〇〇」
「フリーマインドという生き方7自分と社会と調和させる」
「フリーマインドという生き方8内面と外見を一致させる」
「フリーマインドという生き方9環境が合わないと思ったら…」
「フリーマンドという生き方10価値観の違う人といない」
「フリーマインドという生き方11 人との付き合い方」
「フリーマインドという生き方12「ちゃんと」をやめる」
「フリーマインドという生き方13直感を信じるために」
「フリーマインドという生き方14気軽さを持つこと」
「フリーマインドという生き方15妄想癖のある人たち」
「フリーマインドという生き方16自分を一番傷つけるのは…」
「フリーマインドという生き方17ちゃんとやる、とは…」
「フリーマインドという生き方18自分のオーダーを知る」
「フリーマインドという生き方19色々体験してみたらいい」
「フリーマインドという生き方20こうしなくちゃ、はやめる」
「フリーマインドという生き方21.思いつきでやってみる」
「フリーマインドという生き方22.ある方を見る、の意味」
「フリーマインドという生き方23.正しい宇宙へのオーダーの仕方」
「フリーマインドという生き方24.ブラック上等!」
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